お笑い政治寄席

児玉誉士夫

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 児玉機関が襲われた、というニュースを石川勇雄が聞いたのは、翌朝、上海海軍武官室に出勤したときであった。襲ったのは、内地からわざわざ休暇をとって上海に来た若手海軍士官だと聞いて、石川は海軍にもまだまだ骨のある正義漢がいるものだわいと驚いた。
しかし、その正義漢は、肝心の児玉誉士夫が、事務所にいるかいないかも確かめずに襲ったため、別の男を射殺してしまった。その日、児玉はたまたま外出中で、運悪く残っていたのは児玉の部下たちであった。
 児玉機関は昭和十六年(一九四一年)十二月に設けられている。海軍航空本部の山県正郷中将が、国粋大衆党総裁の笹川良一に、外地に航空本部用資材収集のための機関を作れないかと相談した。そのとき笹川が山県に紹介したのが児玉誉士夫であった。当時、海軍は大艦巨砲主義が主流を占め、海軍省 - 艦政本部をおさえていた。それに対し、空母と航空機に近代戦の重きを置いたのが航空本部である。それまでの海軍の外地での資材収集は、上海の第一海軍経理部が担当していた。そこで購入された資材は海軍省兵備局にまわされ、航空本部と艦政本部に分配されていた。当然のこと、反主流の航本への配分は比重が小さく、航本系軍人の不満は大きかった。
 ところで、商売や輸出入の貿易をやるのに、軍人が表に立つのでは、自ずから限界があった。そこで、海軍省兵備局と艦政本部がスポンサーとなって、表向き民間会社の装いをもつ商社を作ったのが万和通商である。万和は軍が手を出しては問題化しそうな〟援蒋物資″ の横取りも行なっていた。この万和は当時、大陸では、三井物産、三菱商事、大倉商事、昭和通商、今福と並ぶ六大商社のひとつであった。ちなみに、陸軍がこの万
和に対抗して作ったのが昭和通商で、三井物産、三菱商事、大倉商事が資金を出している。昭和通商は、一般商社同様の商売のほかに、阿片や武器売買も行なっていた。万和の入手した資材や資金庵、海軍の主流派に流れこんで、航空本部は不満をかこっていたのである。
 そこで、航空本部の山県中将や大西滝治郎少将が海軍大臣を説得し、航本独自の資金・資材獲得要して考えていたのが、児玉機関だったのである。児玉ははじめ本部を上海・文路のピアスアパートに置いた。ほかにブロードウェイ・マンションに分室を張、後には児玉はこのマンションに移り住んでいた。機関の幹部には、児玉を機関長に、吉田彦太郎、奥戸足百、高源重信・藤吉男男、岡村至などがおり、ほかに岩田幸雄も岩田機関を率いて児玉機関に協力していた。
児玉機関は、航空本部が必要する物資は軒並み買い上げた。雲母、ボーキサイト、モリブデン、タングステン、ラジウム、銅‥-・ 。しかし、児玉機関は海軍士官たちの間での評判は芳しいものではなかった。はじめ児玉は東光公司の水田光義社長を仲介にして物資収集を行なっていた。この水田社長が抜け目のない商売人で、商売に暗い児玉機関を手玉にとっていた。水田は児玉機関の注文の晶を買い集め・それを高値で児玉機関に売りつけていた。だが・児玉機関が現地の商売に馴れはじめた昭和十八年、突然、水田社長は何者かの手によって射殺されてしまった。上海の領事館警察も、憲兵隊も・水田暗殺事件を調べたがついに犯人はわからずじまいであった。児玉機関が殺したとか、影佐機関が殺ったとか・いろいろの憶測が生まれたが、証拠もなく目撃者もいないので、犯人はわからずじまいになった。水田の死後、児玉機関は水田商法を引きついで、メキメキとのし上がっていつた。
 しかし、海軍武官室の士官たちや内地海軍省の士官たちの間からは、公然と児玉機関を非難する者も出てきていた。物資は収集されるものの、あまりに買い付け価格がでたらめであるばかりか、児玉たちの生活が酒と女にあけくれたぜいたく三昧のものだったからである。児玉機関は、バックに海軍航空本部があることをいいことにして、口では忠君愛国をいいながら、裏で私腹をこやし、利権あさりをしている、これは何事か、と彼らは憤慨したのだ。上海のブロードウェイ・マンションは、一流中の一流、金持ちばかりが住んでいるマンションである。そこに、児玉は五、六室も部屋を占めていた。しかも児玉機関は儲けた金をダイヤモンドやルビーなどの宝石類や貴金属にかえていたのである。
(小説「黒い龍」森 詠 著より)
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by xsightx | 2005-11-30 08:28
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