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お笑い政治寄席

通信崩壊 第3部

通信自由化政策を進めた怪しい人脈

  IT戦略本部]]の人脈を読み解く

日本の通信事業者は電気通信事業法とNTT法の規制を受けている。これらの政策を立案してきたのが旧郵政省(現総務省)で、通信事業の重要政策は旧電気通信審議会が大枠を決めてきた。また、総務省の外局に位置づけもれている公正取引委員会は独占事業者としてのNTTを監視する役目を受け持っている。
 ここに森喜朗内閣時代の二〇〇〇年七月、突如割り込んできたのがⅠT戦略本部(情報通信戦略本部)とそのもとに置かれたⅠT戦略会議だった。ⅠT戦略本部は日本を世界最先端のIT国家にすることを目標につくられた官邸直属の機関である。本
部と会議 はその後、翌年一月の IT基本法 の制定にともなって再編された。IT戦略本部という略称は同じながら、本部 の正式名称は高度情報通信ネットワーク社会推進本部と名を変え、会議 はこの新しいIT戦略本部に一本化された。IT戦略会議 からIT戦略本部 へ引き継がれた組織で、重要な役割を果たしてきたのは、政治家や事務局スタッフではなく、メンバーに選ばれた学識を有する者、いわゆる 有識者 である。会議 から本部 への再編で、有識者の数は半分になり、入れ替わりがかなりあるものの、ここに参加してきたメンバーが日本の通信政策の基本的な方針について情報通信審議会 (旧電気通信審議会) より強い影響を与えてきた。まずはIT戦略会議とIT戦略本部 の参加メンバーを列挙してみよう。

〔IT戦略会議メンバー(事務局スタッフをのぞく)〕
出井伸之 (議長)  ソニー株式会社会長兼CEO
石井威望  東京大学名誉教授
伊藤元重  東京大学教授 (二回目の会議から)
今井賢一 スタンフォード日本センター理事長
氏家齋一郎 日本テレビ放送網株式会社社長
牛尾治朗 ウシオ電機株式会社会長 第二電電株式会社会長
海老沢勝二 日本放送協会会長
大山永昭 東京工業大学教授 
梶原 拓 岐阜県知事
岸  暁 株式会社東京三菱銀行会長
椎名武雄 日本IBM株式会社最高顧問
孫 正義 ソフトバンク株式会社社長
竹中平蔵 慶応義塾大学教授
張富士夫 トヨタ自動車株式会社社長
西垣浩司 日本電気株式会社社長
福井俊彦 株式会社富士通総研理事長
宮内義彦 オリックス株式会社会長兼グループCEO
宮津純一郎 日本電信電話株式会社社長
村井 純 慶応義塾大学教授(二回目の会議から)
室伏 稔 伊藤忠商事株式会社会長

〔IT戦略本部メンバー(内閣と事務局スタッフをのぞく)〕
秋草直之 富士通株式会社社長
出井伸之 ソニー株式会社会長兼cEO
奥山雄材 ケーディーディーアイ株式会社副会長
梶原 柘 岐阜県知事
岸  暁 株式会社東京三菱銀行会長
鈴木幸一 株式会社インターネットイニシアティブ社長
松永真理 エディター
宮津純一郎 日本電信電話株式会社社長
村井 純 慶応義塾大慶学環境情報学部教授

会議の議長をつとめたソニーの出井会長は本部のメンバーとして残ったが、会議と本部 のメンバーを見比べると、人数が半分以下になった以上の大きな変化がある。放送業界の関係者がいなくなり、結果としてインターネット関係者の比率が高くなったことだ。
村井純慶大教授はインターネット技術の専門家であり、松永真理氏はエディターの肩書よりiモード生みの親として知られている。会議 のメンバーだった竹中平蔵慶大教授は本部に経済財政担当大臣として参加し、同時にIT担当大臣をも名乗っていたから、一連のIT政策の実質的なリーダーだったと見なして差し支えない。
 lT戦略本部という大げさな呼び名も何度か使っているうちに慣れてくるが、軍隊式の名称はこの組織が《上意下達》のIT革命の司令部と位置づけもれているからで、組織が官邸直属になっているのは、役所同士のなわばり争いを持ち込まないためだと説明されている。その背景には、通信と放送を管轄してきた旧郵政省(現総務省)とコンピュータ事業を管轄してきた旧通産省(現経済産業省) の対立がある。
 両省は、もともと仲がよくなかった。したがって、官邸直属のIT戦略本部は、各省庁のなわばりという縦割り行政を解体し、政第止案を垂直統合から水平分離 へとアンバンドルする考え方にもとづいているともいえる。しかし、そうだからといって、この組織が公正競争を目指していると思ってはいけない。
 これまでの縦割り行政では、IT分野は通信に分類されていたから旧郵政省の担当だった。ところが通信に占めるインターネットの重みが増してきて、しだいにコンピュータとの垣根がはっきりしなくなった。それで、インターネット政策を郵政省から切-離して独立させようともくろんだわけだが、郵政省からの切り離しは、否応なく通産省の重みを増すことにつながる。会議から放送業界関係者が消えてしまったのは、一つには彼らと旧郵政省が《癒着》ともいえる近しい関係にあったせいだろう。
 そして、IT戦略本部には、付属する審議会の形をとる別働隊がある。IT関連規制改革専門調査会だ。じつは、この別働隊こそ、ⅠT戦略本部の中の参謀本部だといっても過言ではない。なぜなら、ⅠT戦略の要となるのが通信車業の規制改革にはがならないからだ。それでは、通信業界に《アンバンドリング思想》を普及させた総本山ともいえる調査会の参加メンバーを見てみよう。

〔IT戦略本部・IT関連規制改革専門調査会メンバー〕
宮内義彦 (座長) オリックス株式会社会長兼グループCEO
秋草直之
出井伸之
梶原 拓
神田秀樹
岸  暁
鈴木幸ー
鈴木良男
松永真理
村井 純
米澤明憲 東京大学大学院情報学環教授

 座長をつとめるオリックスの宮内義彦会長は、IT戦略会議 のメンバーだった。本部に顔を出していないのは、この調査会の代表として規制改革に努力を集中するためらしい。ただ彼は、小泉内閣発足からIT分野に限定しない 総合規制改革会議の議長にも就任している。そのほかに三名がくわわっているが、注目すべきは二人の本部メンバーが外されていることだ。見比べてすぐわかるよ-に、日本の通信業界を代表するKDDIとNTTの経営者が消えているのである。
 これは何を意味しているだろうか。第2章で紹介したように、このIT関連規制改革専門調査会は 『IT分野の規制改革の方向性』とい-提言のなかで、公正取引委員会の総務省からの切り離しや、NTTなどに対する新たな独立競争監視機関 の設置を迫っている。つまり欧米流に政策と規制を分離することを主張し、そうしたアンバンドリングを早急に導入することによって、規制緩和と自由化を一気に進めようとしてきた。これは、座長をつとめる宮内義彦氏の個人的な主張と同じで、調査会は、そういう規制緩和をもくろむ人間を結集させた機関なのである。この場にNTTの社長を参加させてもアンバンドリングの方向性に反対するに決まっている。そんな人物はいらないという意思がはたらいていると見なければならない。
 では、NTTの独占状態の解消を心待ちにしている競争事業者のKDDIも外されているのはなぜだろう。KDDIの副会長である奥山雄材氏が、郵政省の通信政策局長を経て事務次官を勤めあげた天下り官僚だったからだろうか。そういう遍蓋より、調査会にあまりにも反NTTの色が濃くなりすぎることを恐れたと解釈するほうが妥当であろう。考えてみれば、ⅠT戦略会議メンバーの牛尾治朗氏も旧DDIの会長だったし、同
じく会議メンバーの張富士夫氏が社長の座にあるトヨタ自動車の奥田碩会長は現KDDIの取締役である。NTTの行く末を左右しかねない影響を与える組織に、KDDIの利害関係者がずらりと並んでいたら、だれもが公正ではないと思うだろう。つまり、そういう批判が出てくる事態を回避するねらいが透けて見える。

 森前首相とIT戦略本部メンバーが密会していた

IT戦略会議や本部や調査会のメンバー構成には、このように目的によって事前に放送業界や通信業界の人物を外したり、だれにもすぐわかる利害関係を隠蔽して、この組織が公正であることを装うといった政治性がある。どういう結論になるかがメンバーを選んだ時点で最初から決まってしまうような人選が行なわれる. これは、以前より内外から批判されてきた日本の談合型、システムそのものというほかないだろう。表向き不透明性の排除や公正競争などの《改革》を唱えてきた組織の舞台裏が、実際は公正からほど遠い不透明なものだったのではないがと疑われる。
 そういう密室政治を如実に示している資料がある。ウェブ現代 のホームページに載っていた 『森喜朗首相の料亭ガイド』 という料亭の写真入りの記録だ。
 宴会好きで知られた森前首相が連日のように料亭に通っていたことは、しばしば報じられていたが、それをどこでだれと会ったのかを具体的な実名入りの一覧表にしている。この記録の二〇〇〇年十二月の部分がじつに興味深い。料亭通いは、こんな具合である。
(十二月十七日 (日) 銀座の日本料理店吉兆 牛尾治朗ウシオ電機会長、宮内義彦オリックス会長、竹中平蔵慶大教授らと会食。福田康夫、安倍晋三正副官房長官同席
 十二月二十二日 (金) 赤坂の日本料理店外松 古賀誠幹事長、亀井静香政調会長、平沼迦夫通産相らと会食
 十二月二十六日 (火) 赤坂の日本料理店口悦 牛尾治朗ウシオ電機会長、宮内義彦オリックス会長、竹中平蔵慶大教授らと会食。福田康夫、安倍晋三正副官房長官同席)
 この十二月は、七月に第一回の会合が開かれたIT戦略会議が十一月の第六回で終わりになって、翌年一月からはじまる新しいIT戦略本部の第一回会合までの《谷間》の時期に相当している。ここで、会議から本部に再編されたメンバーの人選などが話し合われた可能性が高い。話し合いというよりは本部長である森首相のお墨付きを得るために《一席もうけた》と推測される。
 むろん、だれとだれが顔を合わせたという話は、一〇〇パーセント信悪性があるかどうかは確かめようがなく、もし正しいとしても所詮は状況証拠にすぎない。しかし、牛尾治朗氏、宮内義彦氏、竹中平蔵氏の三名が森喜朗前首相にIT革命をはたらきかけてきた仕掛け人だったことは間違いない。しかも、牛尾氏はKDDIの会長で、宮内氏はソフトバンクの元取締役である。IT革命の《伝道師》である竹中氏は、とりまとめを行なう《フィクサー》という役まわりだろう。森前首相が、これらの面々と二度も料亭で密会し、しかもその間にのちに(抵抗勢力》と呼ばれるようになる自民党幹部とともに通産大臣と料亭で顔を合わせているのは、いやでも想像をたくましくさせられる。ここに登場する九人が日本のIT政策を決定づける人選に関わったことは疑いあるまい。
 その後、首相が交代して小泉内閣が登場すると、規制改革は構造改革として、さらに《改革》が強調されるようになってきた。しかし、だれが政策を決めてきたのかを追っていけば、日本の IT革命 から構造改革 にいたる通信政策を左右した人脈の流れは何も変わっていないことがわかるだろう。つぎに、その舞台裏がどうなっていたか、もう少し探ってみることにしよう。
by xsightx | 2006-04-10 06:17
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下部 健太

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