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米軍再編、日本の総負担3兆円近くに…米国防副次官

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 【ワシントン=五十嵐文】リチャード・ローレス米国防副次官は25日午後(日本時間26日未明)、国防総省で記者会見し、在日米軍再編に伴う日本国内での新施設や住宅の建設などで、日本側の負担が総額200億ドル(2006年度予算の換算レートで2兆2200億円)になるとする見通しを明らかにした。
 在沖縄米海兵隊のグアム移転では、日本が約59%にあたる60億9000万ドル(6760億円)を負担することで合意しており、日本側負担は全体では3兆円近くにのぼることになる。
 副次官は、日本国内分の再編に関し、「6、7年間で200億ドル程度が必要になる」との見方を示したうえで、「これは日本の同盟への巨額投資だ」と述べ、グアム移転費を含む日本側の負担を評価した。
 日米地位協定は、日本国内の米軍施設の提供は米側に負担させずに行うと規定している。今回の再編のうち、日本国内に関するものでは、〈1〉沖縄県の米海兵隊普天間飛行場(宜野湾市)のキャンプ・シュワブ沿岸部(名護市)移設に伴う代替施設建設〈2〉那覇軍港(那覇市)の浦添市移設に伴う代替施設建設〈3〉米海軍厚木基地(神奈川県大和市など)の空母艦載機の米海兵隊岩国基地(山口県岩国市)への移駐で必要になる駐機場や米兵用の住宅整備――などに巨額の費用がかかると見込まれている。
 安倍官房長官は26日午前の記者会見で、副次官の発言に関し、「印象としては途方もない金額だ」と述べる一方、「しかるべき予算措置が必要になると認識している。具体的な事業内容を詰めたうえで、防衛庁と財務省で議論してもらう」と語った。日本政府では、「国内分の費用は、1兆5000億円程度にとどまる」とする見方も出ている。
 また、沖縄県で海兵隊移転や普天間移設が実施されることに関し、副次官は「基地・部隊の整理・統合が可能になり、特に県南部で貴重な土地を日本国民に返還できる」と語り、人口が密集する県南部の施設を優先的に返還する考えを示した。
 副次官は、在日米軍再編の最終報告を策定する外務・防衛担当閣僚による日米安保協議委員会(2プラス2)は、5月第1週に開催できるとする見通しを示した。最終報告に盛り込む再編は、原則として2012年までの完了を目指す考えを示したが、普天間移設については「多少の柔軟性があるかもしれない」と述べた。
(2006年4月26日13時36分 読売新聞)
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この件についての石原都知事のコメントが聞こえてこない。
2018年のオリンピック招致についての会見だけが報道されている。
こういう肝心なことに対して何か言ってもらいたいんだよね。
奴隷国家の誕生である。上流、中流、下流、と奴隷にも階層はあるんだが新しく河口を付け加えたい。後は海に出て魚の餌になるだけだ、という意味だ。(下部健太)
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by xsightx | 2006-04-29 09:58

なんだかなー

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■2005/12/18 (日) イーホームズ社長からのメール (きっこの日記から引用)

11月17日の次官発表で審査機関の過失の可能性が指摘されたと聞いた時には本当に驚きました。全く原因が事実と異なったからです。ものすごく不自然な力が作用していることを知ったので、18日に記者会見を開き確認検査制度上の過失はないと断言した後にマスコミには出ずに調査を進めていきます。弊社が確認を下ろした物件ではなく、役所や他機関で確認を下ろしたが調査の回答が出ないのでイーホームズで調べて欲しいという依頼などにも応えていきます。24日の平塚市の自律的な発表以前に、当社に調査依頼で持ち込まれた愛知県のホテルなどの物件に偽造の可能性がある指摘をし、報告しているに関わらず公表されない状況が続きました。建築センターが下ろした確認物件にも偽造の可能性が指摘できました。これは未だに公表されていません。

いずれにせよ、 10/27以前の段階で(弊社が偽造を指摘する以前に)、姉歯氏や木村建設、総研以外にも、ヒューザーも志多組も渡辺氏もスペースワン他設計事務所も日本ERIも、偽造がずっと行われてきたことを知っていたのです。確信犯です。日本ERIの鈴木氏は、東大工学部卒で国交省の高級官僚に同窓が多くいると聞きます。1年半前に日本ERI社は株式公開直前でした。3年前に業務停止を受けて公開が延期していたので、偽造の事実を公表できなかったのかもしれません。被害が拡大した大きな原因は日本ERIに責任があるはずです。私は、国土交通省に、日本ERI社の公文書偽造の調査と処分を徹底的に行っていただくように既に要請しています。国土交通省には、優秀で良心を持つ立派な若い官僚もたくさんいます。

こうした闇が白日の下に曝されることが21世紀の日本には大事なことだと思います。
では、この情報をあなたにもお伝えいたします。事件の全容解明に役立ててください。

イーホームズ株式会社

藤田東吾
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イーホームズ強制捜査へ 検査機関指定直前 架空増資の疑い

 耐震偽装事件で、イーホームズが平成十三年に確認検査機関の指定を国から受ける直前、増資したように装い、虚偽の登記をした疑いのあることが十九日、警視庁など合同捜査本部の調べで分かった。資本金の額は、指定後に検査をすることが認められる建築物の規模を決める基準の一つ。より多くの物件の検査ができるように架空増資した疑いがあり、合同捜査本部は公正証書原本不実記載容疑で強制捜査に乗り出す方針を固めた。今後、藤田東吾社長(44)らから事情を聴く。
 調べでは、イーホームズは十三年十月、資本金を二千三百万円から約五千万円に増資したとして法人登記。確認検査機関としての指定を受けるため、登記事項証明書を国土交通省に提出し、同十二月に指定を受けた。
 国交省は通達で「床面積一万平方メートル以内の建築物の検査を行うには、五千万円以上の財産規模が必要」としており、イーホームズは増資の結果、床面積一万平方メートル以内までの物件を検査することが認められた。
 合同捜査本部は、昨年十二月の一斉捜索でイーホームズから押収した資料を分析した結果、この増資は実体がなかった疑いが出てきたという。
 耐震偽装を罰する建築基準法は、確認検査機関の検査ミスを処罰する規定がないが、偽装を見抜けなかった点について「過失はない」と強弁していたイーホームズに確認検査の関連で初めて違法性が浮かんだ。
(産経新聞) - 4月20日
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一体どうなっちゃてるのか?藤田社長は嵌められたのか、はたまた、同じ穴の狢なのか、私の頭もこんがらがってきました。
イーホームズの株を「白馬の騎士」北尾SBICEOが買い戻し条件付で個人で引き受けたそうですが、いったいどんな絡み方をしているのか日本の新聞社よ、はっきり報道してくれ。ソフトバンク設立時から孫さんと北尾さんの仲は悪かったそうです。例のソフトバンク個人情報流失事件で、関わったのは創価学会員だという噂もありました。こんなところから推理すると北尾さんは学会員なのでしょうか。渋沢栄一の名前を頻繁に出すところなど、渋いとは思いますが野村證券時代には、その筋の担当だったとか、裏の世界には精通しておられるようですな。大阪出身の華僑ネットワークの一員ではないかと思っていますが。あんまり追求すると「三合会」や「チンパン」「ホンパン」に青竜刀で首を切り落とされそうなので、このへんでやめます。
ライブドア騒ぎにしても、捜査の段階でスイスやその他プライベートバンクに預けてある有名人の口座が暴かれるのを期待していたんだが、、、、。結局、「大山鳴動して蚤1匹もでず」で終わりそうだ。天才的なハッカーの諸君、今から各空港の入出記録をデータベース化しておいてくれ。特にヨーロッパ方面へ頻繁に出かける名前をチェックしておいてくれ。(下部健太)
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by xsightx | 2006-04-22 08:50

「龍馬暗殺に隠された恐るべき日本史」小林久三 著より


 晋作は、渡航の健を捜しに長崎の英国商人グラバーをたずねた。グラバーは、晋作に現在はそのときではないといって渡航に反対し、それよりもむしろ下関を一刻も早く開港し、幕府との戦争にそなえて武器を密輸することをすすめている。
 当時、幕府はグラバーに長州藩に武器を売ることを禁止していた。長州藩は武器購入の道をふさがれていたのである。一方、薩摩藩は、それが許されている。
 そこで考えだされたのが、薩摩名義でグラバーから武器を買いとり、長州藩の手にわたす代行機関として龍馬の亀山社中が引きうけるという方法であった。そうすれば、薩長連合の気運を高めることができる。
 幕府との対決姿勢を改めた長州藩が必要としているのは、新式銃と蒸気船であった。それに対し、薩摩藩はコメが不足している。不足しているコメを、長州藩から薩摩に運ぶ。
 亀山社中は動きはじめ、グラバーから新式銃七千三百軽を買い取った。その銃は亀山社中の手でひそかに長州藩に運びこまれた。
 龍馬の思惑と計算は適中して、薩長両津はたがいに歩みより、慶応二年(一八六六)一月二十二日、薩長連合の密約が成立した。この日から、薩摩と長州が幕末の動向の鍵をにぎることになる。
薩長連合の立役者は龍馬であるが、見逃してならないのはグラバーの存在であろう。トーマス・ブレイク・グラバー。イギリスの武器商人である。
 スコットランド生れ。沿岸警備隊に勤務するイギリス海軍大尉を父にもつグラバーが、なぜ日本にきて、長崎を拠点にして武器を薩長南藩に売りまくり、徳川幕府を倒壊させたのか、その動機や理由はいまだにはっきりしない。
 グラバーが来日したのは、安政六年(一八五九)。その翌々年にマセソン商会の日本支店長になるが、さらに翌年の文久二年(一八六二)二月にはグラバー商会をつくり、製茶と外国人居留地の借地買いつけにのりだす。
 イギリス人フランシス・グルームとの共同事業だが、このときグラバーは二十三歳。居留地の買いつけはきわめて順調で、二年間で二十三区画、一万五千五百坪におよんだが、その資金はどこから調達したのだろうか。
 龍馬は、グラバーと薩摩藩の小松帯刀の紹介で会い、七千三百軽の銃の取り引きを成立させ、長州藩の伊藤俊輔、井上聞多に引き渡しているが、総額九万二千四百両、ざっと三十二億円の取り引きである。
 七千三百鍵の銃には、ゲベール銃三千挺の中古品が入っていた。この銃はアメリカの南北戦争で使い古したもので、スクラップ同然だった。それを一挺五両で売りつけている。
グラバーは、若いわりにはかなりしたたかで、龍馬や薩長雨藩を手玉にとったといえるだろう。
 それはそれとして、薩長連合が成立して、両藩の動きはあわただしくなった。中央進出を競って憎み合っていた両藩が、同盟国として交流を深めたことで決定的な状況ができあがってきたのである。


幕府と薩長との武力衝突で一体誰が得をするのか?

久光よりさらに強大な人物がいる。トーマス・ブレイク・グラバー。彼らは久光だけなく長州藩にも圧倒的な影響力をもっことができた。日本名、倉場宮三郎。
 このイギリスの武器商人は、薩摩藩と長州藩に武器弾薬を売りつけて巨万の富を築きあげた。薩摩藩の小松帯刀の紹介で龍馬と知り合ったグラバーは、龍馬の仲介でまず長州藩に七千三百挺の銃を売りつけ、薩、長両藩に食いこんで、やがて明治維新の陰の大立て者
にのしあがっていく。
 銃以外に艦船だけでも二十隻、金額にして百十七万五千ドルを薩長両藩に売りっけている。それ以外にも、あらゆる武器に手を染めている。まさにヌレ手でアワの大もうけで、グラバーが手にした利益は莫大な額にのぽったといえるだろう。薩摩藩の家老が、グラバ
ーの暮しを、三十万石の大名に匹敵するといったが、それは過小評価だといって差し支えない。
 武器商人として、二十代半ばのグラバーが、幕末、幕府を倒すという名目で薩長連合を成立させる陰の黒幕になったばかりか、島津久光といった大物藩主とも対等につき合っていたのである。それだけでなく、イギリスへ留学した五代才助たちは、フランス人のモン
ブランと契約を結び、慶応二年のパリ万国博覧会に薩摩藩は参加している。
 薩摩藩は家老岩下方平をリーダーとする一行がフランスに渡り、万博に四百箱あまりを出品し、陳列場には日本薩摩太守政府の名を使って幕府に対抗している。薩摩藩は、この時点で、すでに幕府を崩壊させることができると読んでいたのであろう。
 薩摩藩は万博に参加しただけでなく、五代才助たちはイギリスの工場地帯を視察し、プラット紡績工場に紡績機械から工場の設計、技師の派遣を依頼した。その結果、慶応三年八月には鹿児島に日本初の紡績工場が誕生している。
 こういった斡旋をグラバー単独でできるわけがなく、その意味で彼の背後にはヨーロッパの巨大な組織があったとみるべきであろう。その組織は、十九世紀のアジアに進出して、アジアを拠点に大量の武器を売り込み、巨額の利益をつかもうとしていたネットワークだといえる。武器商人による、巨大なネットワーク。
グラバーは、そのネットワークの一員だったのだろうか。幕末、幕府と薩長連合による武力衝突があれば・彼はさらに莫大な利益を得ることができるであろう。そして薩長両藩を中心にした新政府が成立すれば、これまでのつながりを土台にしてさらに有利なビジネチャンスが生れる。
 にもかかわらず龍馬は江戸城を無血開城にして、江戸を戦火に巻きこむことはなく、戦闘は東北、北海道を舞台にした小規模なものになってしまった。武力討幕による、大規模な国内戦争を想定したから、グラバーは薩・長だけでなく、肥前、肥後、宇和島、土佐など西南各藩へ武器・弾薬、船舶を売りこんできたのだ。もし国内戦争で、それらの武器が使われなかったら、各藩への売り掛けが貸し倒れになってしまう。
グラバーは、薩摩藩主島津久光に対して絶大な影響力をもっていた。
一つの証言がある。イギリス公使館付き医師ウイリァム・ウイリスは、慶応二年(ー八六六)九月、パークス公使にしたがって鹿児島を訪れているが、そのときのようすを本国にあてた手紙のなかで、次のように報告している。
薩摩侯はグラバー商会に対して多額の債務があるので、これを利用してグラバーはたえずなにかをしでかさずにはいられない性質の公使と薩摩侯との会談を斡旋したのである。
私のみるかぎ。では、公使や提督らのなかでも・グラバーがとびぬけて一番妻な賓客であった
薩摩侯とは久光のことだが、武器購入でグラバーに多額の債務をかかえた久光は、イギリス公使のパークスよりも、グラバーをはるかに大事にしていたのである。そのグラバーの斡旋による島津=パークスの会談は、幕末の歴史を左右するほど重要な会談だったといわれる。
グラバーは、明治になって長州の毛利家が編纂した幕末史『防長回天史』のなかで、編集人のインタビューに対して・パークスは島津久光に会うまで幕府支持だったか、薩摩にいって久光に会ってから、百八十度変わったと前置きして、次のように語っている。
(パークスはグラバーの肩を叩いて)『すまんすまん。これまで自分は愚かだった。きみのいうことを信じなかったが、自分が誤っていたといま目がさめた。はじめて日本の大名の考えかたがどんな方向に進んでいるかがわかった。いままで大名とイギリスの間に連がっかなかったのは、幕府側が壁をっくっていたのだ』と、しみじみ私にいって詫びたものです。
っまりこのグラバーが、日本のために一番役に立ったとおもうことは・私がバリー・パークスと薩摩、長州の間にあった壁をブチ壊してやったことです。これが私の一番の手柄だとおもっています
 としてそのあと、グラバーはこういっている。
私は日本の大名と何十万、何百万の取引きをしたことがある。しかし、ここで強くいっておきたいことは、ワイロは一銭も使ったことがない (中略)日本固有のサムライの心意気でやったということ、これだけは特筆大書してもらいたい。
 徳川幕府の叛逆人のなかでは、自分がもっとも大きい叛逆人だと私はおもっている
 徳川幕府に対する最大の叛逆人。多少の誇張とおもいこみはあるだろうが、グラバーは、徳川幕府を倒したのは、薩摩藩でもなければ長州藩でもなく、グラバー個人だと自負していたのである。もっと具体的にいえば、グラバーが討幕勢力に売りまくった武器弾薬、艦
船が二百六十年あまりつづいた幕府を滅亡させたと、分析していたのであろう。
 要するに武力討幕に徹底的にこだわり、薩摩、長州、土佐などの尻を叩きまくったのは、グラバー自身だったのは事実である。その場合、グラバーがヨーロッパの最新式の武器、艦船を扱っていたことが最大の切り札になった。
 グラバーは血の気の多い男だったといわれる。グラバーの背後にひかえるヨーロッパの 武器商人にとって、アヘン戦争終了後の市場は日本だ。日本に国内戦争が起るために必要な条件は、薩摩と長州両藩が反幕府のために結束することだ。そう考えたグラバーは、武器取引きをつうじて知り合った龍馬を利用することをおもいついた。土佐藩脱藩者の龍馬なら、藩の枠をのりこえて自由に動ける。
 グラバーは、おそらく龍馬を陰に陽に援助したにちがいない。薩長連合成立のため・龍馬は奔走した。ところが、その過程で龍馬は大きく成長して・個人の身で時代を転換させようという野心をもちはじめ、船中八策を練り、いきづまった政局を打開するためには大政奉還以外にないと主張しはじめる。
グラバーにとって、龍馬はもはや邪魔者でしかなかった。ビジネスの障害物でもある。
 龍馬を、ただちに処分すべし。
グラバーは、その意向を島津久光につたえた。久光も・グラバーと同じ立場にあった。大量の武器を購入した薩摩藩は、国内戦争がなければ、武器は使用されなければスクラップにせざるを得ない。そのうえ多額の債務だけが残ることになる。
久光は、龍馬暗殺の指示を、ひそかに西郷隆盛に出したと推論できる。当時・鹿児島にもどっていた西郷は腹心の中村半次郎にその指示をつたえた。
 半次郎は、土佐藩に協力をもとめた。その頃、海援隊と陸援隊の対立から薄内が分裂し、深刻な対立抗争が生まれていたことを苦にがしくおもっていた山内容堂は、龍馬、中岡憤太郎の暗殺を認めた。
薩摩と土佐藩連合による暗殺決行。暗殺は、新撰組によると擬装したが、それが破綻すると京都見廻組の今井信郎を犯人のー人にしたてあげ、見廻組の犯行とみせかけようとした。
 この工作にもっとも貢献したのは、土佐出身で司法大輔の佐々木高行であろう。維新後、参議兼工部卿、枢密顧問官などを歴任した佐々木は、今井信郎に禁固五年の判決をいい渡したが、実際には三年という軽いものだった。
 すべてを知る西郷と桐野利秋(中村半次郎)は、その後、西南戦争で死亡した。
 グラバー商会は、明治三年(一八七〇)八月、倒産する。負債総額、約五十万ドル。
 グラバーが懸念したとおり、戊辰戦争は大規模な国内衝突にならず、明治維新で各藩の財政事情は苦しくなり、大量に買いつけた武器の借金返済がほとんど不可能になり、おまけに戦争が短期間で終ったため、武器、艦船が大量に売れ残り、長崎の大浦倉庫に山積み
されたためだった。
けれども、グラバーが援助した志士たちは、政府高官になっている。彼らの庇護のもとで、グラバーは明治44年に死去するのだが、幕末から明治にかけて、政、財界に隠然たる勢力を持ち続けた彼の死の床で脳裏に浮かんだのは、坂本龍馬の顔だったのだろうか。    
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by xsightx | 2006-04-20 08:51

通信崩壊第5部


臆面もない欲ぶかさ

ここ二十年近く、OECDやガットやWTOが、貿易問題をモノ(物品)の輸出入からサービスの相互乗り入れ へと拡大させてきたため、いまでは市場を開放する政策と競争政策の導入がほとんどワンセツトにされている。だから、市場が閉鎖的であるという批判は、しばしば公正な競争が行なわれていないという批判と同じ意味になる。そうした観点に立てば、独占事業者であるNTTに対し果敢なチャレンジを試みているソフトバンクの行動は貿易摩擦の解消につながる。中谷氏や竹中氏らがソフトバンクを賞賛しつづけるのは世界の潮流を理解しているからだというふうに思わせる仕掛けだが、じつは、彼らはソフトバンク人脈に連なる身内の《応援団》にすぎない。
 彼らの発言は、自由化や規制緩和 の話を自らの立場に都合のよいように解釈しているものが多い。国立大学教授の取締役兼任問題は、まさに当事者的な話題だったせいか、それがむき出しのかたちで表明されている。中谷氏はソニーの取締役に就任したせいで一橋大学を辞めざるをえなくなった件について、つぎのように人事院の態度を批判している。
(彼ら官僚はマーケットのダイナミックな動きをサポートしなければいけないのに、サポートするどころか、水をせき止めようとしている。そのことが私も実感としてわかりました。
もう少し世論を喚起して、どうにかしなければなりません) (『IT。パワー』)
 官僚が 足を引っぼっているというわけである。竹中氏も、つぎのようにいう。
(霞が関の既得権を守ろうとする力がかなり働いていて、最後の悪あがきをしているようです。これまで議論してきたように、これだけマーケットがダイナミックに変革へと動いているのに、旧来勢力の典型ともいうべき官僚は縄張りを必死に守ろうとする) (同)
 二人のやりとりは、規制だらけの日本では国立大学の教授が民間企業の重役になることが禁止されてきたが、アメリカはそうではないということが根拠にされている。そういう規制が緩和されると人事院の仕事がなくなるから官僚が抵抗しているのだという理屈だ。アメリカを知らない人間が多すぎるから、こんな愚かな妨害が起こるとぼやいているわけだが、その甲斐あって日本では二〇〇〇年に 産業技術力強化法という法律が新しくつくられ、国
立大学の教官が民間企業の重役を兼職できるようになったばかりか、社長になることさえ正式に認められた。
 ところがアメリカを見習って規制緩和するという話になっていたこの法律の根拠が、そもそも怪しかったのではないがという説がある。産学連携を研究する研究者によって書かれた 『TLOとライセンス.アソシェイト』 (渡部俊也.隅蔵康一著、ビーケイシー) によれば、(大学にフルタイムの教授としての籍を置いたまま、企業の取締役に就任することは、米国ではほとんどの大学で禁止されている) (同書) というのだ。カリフォルニア大学のように公務員として働く州立大学教官の取締役を認めているところもあるが、兼任が刑事罰の
対象になっている州もあり、ITベンチャー企業の《聖地》と称されるスタンフォード大学は、カリフォルニア州にある私立大学にもかかわらず、教授の顧問就任は認めているものの、取締役兼職は自粛しているという。
むろん、アメリカ、が日本の国立大学教授を自由に取締役にさせよと規制緩和の外圧をかけたことなどない。ということは、これは・日本の政策に影響力のある伝道師たちが自らの利益のために、都合よく法制化をはかったと考えるしかない。中谷・竹中両氏の主張は、官僚はマーケットのダイナミックな動きをサポートしなければならないというものだ。あらゆる分野の規制を緩和して、すべてを市場にゆだねる競争政策が進められなければならないという理屈なのだが、彼らの発言は、ようするに能力の高い人間がもっと儲かるような社会にしろとう主張に尽きるのである。
 この主張は竹中氏が前出の『ⅠTパワ』の中で『ウォール街』という映画にふれている部分に典型的に表れている。彼は、マイケル・ダグラスが演じる株式投資家のグリードこそわれわれの力の源泉だというセリフにいたく感心している。(グリード、つまり欲望です。日本には、欲というものを卑下する風潮がありますが、私は必ずしもそうは思いません。
やはり、われわれの行動のもとになっているのは欲望であることは否定することはできないのです。/アメリカの場合、グリードを満たした成功者は、必ずと言っていいほどボランティアにお金をつぎ込んでいます。ビル・ゲイツしかり、ジョージソロスしかりです)

   アメリカを見習えの嘘

 アメリカでは規制が緩和されているから日本も同じようにやるベきだという発言には根拠が怪しい場合があるので、くれぐれも注意が必要である。こういうズレはアメリカで生まれたアンバンドリングの考え方が積極的に導入された通信事業にも見られる。
 OECDやWTOなどの国際機関が中心になって進められた通信自由化は、ネットワークをアンバンドルして開放することと、独占的事業者に対する ドミナント規制 を二つの柱に位置づけている。この後者のドミナント規制は、独占的事業者に対しては厳しい規制、非独占的競争事業者(新規参入者)に対しては大幅な規制緩和 のかたちがとられている。
両者に対する規制はアンバランスだから、非対称規制と呼ばれる。
 ところが、この非対称規制 の概念の使われ方が、日本とアメリカで一緒かというと、これが同じではないのだ。現在のアメリカでは、独占的事業者に対する規制緩和と非独占的事業者に対する規制緩和を非対称と呼んでいる。つまり、規制緩和の進め方を加減しているだけで、独占的事業者をがんじがらめにしているわけではない。
 それが日本では、同じ非対称規制の概念がほとんどドミナント規制の実施だけに限定されてしまっており、その結果、NTTのシェアを下げること自体が目的になっている。
なぜ、そんな解釈になってきたかを考えていくと、その裏にはNTTと競争関係にある企業によるロビー活動があったからだとの結論しか引き出せない。
 アメリカがNTTの国内の事業者間接続料金(アクセス・チャージ)の値下げをしぶとく日本政府に要求しつづけていることはすでに述べた。接続料問題は、これまで一貫して貿易障壁として扱われてきた。その点に首をかしげる人も多かったが、同じ時期、通信事業というサービス分野を自由貿易の対象にしてきたWTOの方針とも重なって見えたせいで、そういうものかと思わされてきたところがある。
 もちろん、NTTの接続料が下げられれば日本の通信事業にさらなるアンバンドリングが進み、したがって市場開放はアメリカの損にはならない。しかし、アメリカの損にならないまえに、明白にKDDIなど日本の競争事業者の利益になる。ⅠT戦略会議のメンバーにはソフトバンクの利益を代表する人物とともに、KDDIの利益を代表する人たちがずらりと並んでいた。これは明らかな状況証拠だと見なして差し支えあるまい。
 国内の接続料に対するアメリカの口出しが内政干渉に見えたのは、それが実際に内政問題でもあったからなのだ。アメリカは、そのような国内からのNTT批判の意見をかなり取り入れて日本政府への要求をまとめてきた。
 接続料の設定では、NTTは実際の通信網敷設に要した金額から算定する実際費用方式を採用していたが、アメリカは現時点で通信網をつくったらいくらかかるがという試算から見積もる長期増分費用方式を求め、二〇〇〇年度からの実施を日本側に認めさせた。
通信機器は年を追うごとに安価で高性能になるから、この方式をとるとNTTは不当に安い金額で回線を貸し出さなければならなくなる。この方式が議論されたとき、新電電各社はすばやく米国案を支持する意見書を旧郵政省に提出し、見事な連携プレーを演じている。そして、やはりというべきか、この長期増分費用方式はアメリカでは採用されていないのだ。
 いつから、こんなやり方が行なわれるようになったのだろう。基本電気通信合意にもとづく通信の規制緩和は通信ビッグバンと呼ばれ、九七年からはじまった。それが本格的な規制緩和のスタートだと見ることもできるが、競争政策の導入は八五年のNTT民営化までさかのぼる。おそらく、アンバンドリング政策と国内のロビー活動の歴史は重なっていたはずだ。それを確かめるには、当時の政策と人脈を探る必要があるだろう。

 ロビー活動は電電公社民営化のときはじまった

NTTの民営化は、よく国鉄の民営化と対比される。ともに中曽根内閣時代に第一次臨時行政調査会で議論され、その答申に盛り込まれた競争原理にもとづいて法制化が行なわれて民営化された。
 ただし、共通点もあるが、根本的なちがいがある。そもそも電電公社の時代から日本の電話事業は赤字ではなかった。単純にいえば、国鉄は地方に線路を延ばすほど赤字が増えたのに対して、電話は加入者の拠出金で回線を延ばしてきた。のちに電話加入権(施設設置負担金)と名を変える 電話債券 を買わせていたからだ。民営化の時点でNTTが 超優良企業だったことは、政府の操縦があったとはいえ、株式が上場された際の三〇〇万円を超えた株価がなによりも雄弁に物語っている。
 電電公社を民営化させたのは中曽根首相で、一九八二年から八七年まで五年のあいだ政権の座にあった。この時代に、サッチャリズムとレーガノミックスをモデルにした 中曽根行革が登場した大まかな流れは第2章で述べたとおりだが、この間の政策にAT&Tの分割が影響を与えたとしても、NTTの場合は 分割 ではなく、あくまでも民営化だった。
民営化で生じた変化のポイントは、競争事業者の参入を可能にした点である。
 中曽根氏は、首相就任当初から 国際化の時代 という言葉を唱え、アメリカのレーガン大統領との親密なロン・ヤス関係をキャッチフレーズにしながら、何度も 日本は西側陣営の一員とくりかえした人物だ。たしかに対外的にはアメリカべったりの路線をとった親米派の代表だが、問題は、国内のロビー活動のほうである。第二次臨時行政調査会 の代表をつとめたのは土光敏夫経団連名誉会長で、彼は石川島播磨重工や東芝を再建した実績で知られる大物財界人だった。メザシが大好物という清貧ぶりが評判で、《欲》からはほど遠い印象がある。増税なき財政再建 の提言もそれなりに公正なイメージがある。
 だが、土光氏をかつぎだしたのは彼を表の顔にするためで、中曽根氏は私的なブレーンをもっぱら重用した。そうした個人的なブレーンの筆頭が元伊藤忠会長で、のちに第二次行革審会長代理に就任した《シベリア帰り》の瀬島龍三氏であり、また、京セラの経営者だった稲盛和夫氏である。むろん、稲盛氏が創設した電話会社はその後NTTと競争関係になる第二電電 (DDI)である。彼はのちに第三次行革審 (臨時行政改革推進審議会)の部会長をつとめ、規制緩和論の急先鋒としても知られている。一方の瀬島龍三氏はNTT
民営化の前年に稲盛財団の会長に就任している。こういうパイプのつなぎがロビー活動の秘訣であることはあらためていうまでもない。
 稲盛和夫氏は、行革審以外でも日米二十一世紀委員会の中心メンバーをつとめるなど財界のニューリーダーを自任していたが、通信自由化政策の推進において重要な役割を演じると同時に、日本の通信事業が規制緩和される結果、もっとも大きな利益を手にする立場にあった。NTTに対する競争事業者は新電電と称されていたが、あるマスコミが新電電を第2電電と呼んだ機をとらえ、これをいち早く商標登録し、社名にしてしまったというエピソードも伝えられている。
現在もKDDIの名誉会長の地位にある稲盛氏は、一九八四年に、DDIを設立して会長に就任した。最初にねらったのは料金の高かった長距離電話で、NTTよりも安い料金設定にするとともに、携帯電話事業にも乗り出した。この価格破壊の流儀は、インターネット事業におけるソフトバンクの孫正義氏とそっくりである。政権の座にある者とブレーン役の密接な連携や、各種審議会でロビー活動を行なったのも、またよく似ている。これは日本の自由化政策が展開されるたびにくりかえされた。パターンにほかならない。
 窒息的にブレーンを集める審議会方式で物事を決めるかぎり、そうならざるをえないわけだが、外部に対しては改革が唱えられているわりに、事前の根回しでおよその話が決まることが多い。その意味で中曽根内閣の臨時行政調査会は、森内閣のIT戦略会議や小泉内閣の規制改革会議の悪しき原型ともいえる。

 孫正義氏へとロビー活動の手法は伝承された

稲盛氏は、資本主義市場経済の舞台で競争していくため、システムを欧米型の世界観に合わせて変えていかなければならないとの持論にもとづいて数々の提言を行なつてきた。
この考え方は、竹中平蔵氏の発言とほとんど同じである。これには何の不思議もない。なぜなら、彼らは同じバックボーンをもった人脈に連なっているからだ。竹中平蔵氏や宮内義彦氏とともに森喜朗首相と料亭で密会した牛尾治朗氏にしても、八一年から八三年まで第一次臨時行政調査会の専門委員をつとめ、その後、第一電電の発足とともに稲盛氏から取締役に迎え入れられた人物なのである。
 ソフトバンクの孫正義氏も、そういう人脈に位置づけられる一人である。なによりも彼は、稲盛氏が講師をつとめた盛友塾と名づけられた企業経営の勉強会の弟子なのだ。そのほかにも塾生には人材派遣業、パソナの南部靖之氏らがおり、稲盛氏は起業の成功者として、長らく日本のIT関連企業の若手が心のよりどころとするベンチャー教の教祖でありつづけてきた。この塾に学んでいたのは、経済界の新興勢力あるいはそれを目指す経営者のクマゴたちである。したがって、昔ながらの大企業とくらベると自由化や規制緩和が自らの事業の利益になる可能性が高かった。規制緩和政策にはベンチャー企
業を育成することが強く打ち出されているからだ。
関係者のあいだでは盛友塾は松下村塾になぞらえもれてもいる。つまり稲盛和夫氏は現代の吉田松陰ということになる。ちなみにNTTは、鎖国を頑なに守ろうとしてきた江戸幕府に見立てられ、逆にNTTの独占を倒す ことに目標をおいているIT革命の起業家たちは、自らを幕末の志士に見立ててきたようだ。彼らの意識からすればアメリカの黒船襲来もうまく利用すべき《テコ》にすぎないのかもしれない。孫氏は司馬遼太郎の『龍馬がゆく』を愛読し、坂本龍馬を尊敬しているらしく、のちにベンチャー業界の仲間を誘って高知にある坂本龍馬の銅像を見学に行ったりしている。
 塾に集まった年若い門下生は、NTTの独占に風穴を開けた稲盛氏から、法的規制をふくめた古い制度 (ルール)をどうやって打ち破っていくか、その方法論を学んできたはずで、当然のように思想的な影響を受けただろう。そういう影響は人材派遣業という賃金を価格破壊する新しい商売をはじめた,パソナにも見てとれる。むろん規制緩和がなければ正社員でも。パートでもアルバイトでもない派遣社員の存在はなかった。この南部氏のパソナが、孫正義氏がつくったナスダック・ジャパンに株式を上場している。二〇〇二年秋までは、孫氏はパソナの大株主でもあった。こんな具合に 盛友塾で培われた人脈が、じつは日本の通信事業の行く末をかなり動かしてきたともいえる。
 問題なのは、かつてニューリーダーと呼ばれた稲盛氏が、黒いうわさの絶えなかった瀬島龍三氏を頼ったり、元郵政事務次官の奥山雄材氏をトップに迎え入れるなど、とても改革推進派に分類するわけにいかない顔をもっていることである。この奥山氏は、いまもKDDIの副会長としてIT戦略本部のメンバーに名を連ねている。
 こういう古い体質を引きずるロビー活動の手法をふくめ、ベンチャー起業志望者たちが稲盛氏から多大な影響を受けてきたことが、現在の日本の通信業界をてんやわんやの状態にしている理由の一つだといっていいかもしれない。というのも、《改革》といいながら、実際にやってきたのは 旧来のルールを壊す結果にしかなっていない現実があるからだ。どうしてそうなるのかというと、《改革》を旗印に掲げているにもかかわらず、密室での談合のようなロビー活動が行なわれてきたからだというほかない。
 インターネットの重みが増した現在では、NTTの対抗馬として電話事業者であるKDDIよりデジタル情報革命を標模してきたソフトバンク・グループが有力になりつつある。この孫正義氏がいかなるロビー活動を行なってきたかを垣間見ることができるエピソードもある。それが、かつてマイクロソフトのウインドウズのライバルになる可能性のあった国産OS トロン を旧通産省・機械情報産業局長の棚橋祐治氏に直談判して つぶした事件で、この経緯はコンピュータ業界ではよく知られている。
 なぜ、つぶそうとしたのか。本人に取材して構成された『孫正義 起業の若き獅子』(大下英治著・講談社) という本には、(TRONは日本を世界の流れから孤立させ、日本を滅ぼすことになる。遅れているコンピュータ業界がますます遅れていってしまうことになりかねない。潰すしかない)という内面描写的な記述がある。
トロンを開発したのは東大の坂村健氏で、このOSが松下電器を中心とした企業グループによって学校教育への導入が進められようとしていた。ところが、アメリカ通商代表部(USTRが、このOSを貿易障壁報告にとりあげ、悪名高きスーパー三〇一条(不公正貿易に対する強制的制裁)の対象にすると脅したためにトロンの学校への導入が見送られることになったのが事件の概要である。決まったというより、アメリカから横やりが入ったんじゃしょうがないという雰囲気が漂いはじめ、大半の企業が手を引いてしまったのだ。まさにネガティブなロビー活動の成功例なのだ。
 トロンの開発は、その後も小規模なプロジェクトとして継続され、パソコン用のOSとしては大きなシェアをとることができなかったものの、家電や自動車や携帯電話などを制御する組み込みOSとして広く採用された。いまでは国内の五割のシェアをもつといわれている。つまり、トロンが生き残っても日本が滅びることはなかったわけだ。それどころか、逆にその後の日本のコンピュータ産業は完全にマイクロソフトに牛耳られる結果になり、むしろソフトウェア業界が発展する芽をつまれてしまったと見なすべきだろう。

   NTTドコモに対するドミナント規制の謎

 固定電話事業ではNTTの対抗馬といえるほどのシェアをもっていなKDDIも、携帯電話分野ではじゅうぶん括抗してきた。KDDIの携帯電話auは、第三世代 (3G)の通信方式として、アメリカのモトローラが開発した ワイヤレス・ネットワーク(CDMA2000 1X)を全面的に採用している。ところが、第三世代携帯電話に限っていえば、auの携帯は二〇〇二年六月末時点で累計一〇〇万台を突破し、なんと日本で九〇パーセントのシェアをとってしまった。
 auは、この実績を宣伝材料にして攻勢をかけている。だが、これはほとんど独占といってもいい数字なのだ。はたして、シェアが大きすぎると問題にされることはないのだろうか。おそらく、そんな心配は無用のはずだ。ウインドウズと同じアメリカ生まれの技術だからかといえば、そういう理由でもない。
 もともとアメリカは携帯電話事業に対する口出しはさほど行なっていない。アメリカの要求は、あくまでもNTTの固定電話網のさらなる開放にあった。ところが総務省は、NTTドコモにもドミナント規制を適用しようとしてきた。なぜそうなったかを考えると、競争事業者であるKDDIのロビー活動以外に原因は見あたらない。具体的にいえばIT戦略本部が進めていた規制改革にKDDIの影響力が強いことから、そうなったと考えざるをえないのだ。したがって、たとえKDDIが第二世代携帯電話で独占といえるほどのシェアをとっても騒ぎは起こらないことが予測されるのである。
 もっとも、いまのところ次世代といえばauでしょと勝ちほこってはいるが、こちらのデータ通信速度は毎秒144キロビットと、NTTドコモの第二世FOMAの半分以下で、第二.五世代などと悪口をいう人間もいる。携帯電話全体で独占的なシェアをとったわけではないから、先が保証されたわけではない。
 これまでバラバラだった携帯電話の規格を第二世代から標準化して統一しようという試みはあったが、結局は統一されず、日欧方式のW-CDMAと北米方式のCDMA2000とに分かれた。ともかく、いま前者の方式のFOMAが苦戦し、後者の方式のものが好調な状態にある。結果的にシステムを北米型に合わせた企業だけが勢いを増してきたともいえ、アメリカ側から見ても、ひとまず不満はないだろう。これも問題にされない根拠の一つになる。
 NTTグループ内で突出した優等生だったドコモでさえ携帯電話の新規加入の数では陰りが見えはじめ、固定電話はIP電話に追いつめられ、新世代携帯も他社にシェアを奪われ、しかも携帯電話には無線LANという強敵がひかえている。まったく通信業界の行く末は予断を許さない。
技術の面だけからいえば、事態の推移はこのように簡潔にまとめられるかもしれない。
しかし、その技術は 通信政策と密接にからんでおり、その 政策 は、想像以上に特定の人脈にからめとられてきた。表向きは日米摩擦からアメリカのごり押しによって規制緩和が行なわれてきたように見える。むろん、それは否定できないどころか、実際《外圧》が何度も押し寄せた。だが、それだけですべてを語るのも誤りである。ある人脈のパイプが別の人脈と新たなパイプでつながり、そういう面々が、アメリカからの外圧や国内の政治情勢を巧みに利用しながら政策を左右してきた。
 国際間でルールをつくる競争が行なわれる場合、この《ルール・セッティング競争》のほうが実際の競争より熾烈だったと思われるが、国内に構造改革が導入された過程にも、やはり同様の(ルール・セッティング》をめぐる争いがあったと見なすべきだろう。ただ、それを公正競争と呼ぶのはふさわしくあるまい。実態は自らの利益のために人脈を総動員し、権力者と密室で談合するような《根回し》にすぎなかったのだから。
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by xsightx | 2006-04-10 19:36

通信崩壊 第4部


   IT戦略本部はソフトバンク関係者ばかり

 ソフトバンクの孫正義氏はIT戦略会議 のメンバーに参加しているが、その後の本部メンバーにはくわわっていない。しかし、これはIT戦略本部 にソフトバンクの影響力がなくなったことを意味しない。自らは会議だけで身を引いたものの、孫氏に代わるソフトバンクの関係者はそのまま残っている。じつは、村井純氏は慶大教授であると同時にソフトバンクの取締役なのである。しかもソフトバンクと昵懇の間柄にあるオリックスの宮内義彦氏のような《応援団》が、竹中平蔵氏とともに実質的に 本部を取り仕切る格好になったから、影響力はいっそう高まったともいえる。
 孫正義氏の《口癖》はナンバーワンになるだ。つねにそういう目標を高々と掲げ、目的のためには手段を選ばない数々の武勇伝を残してきた。彼は九州の高校を中退してからアメリカに渡り、そこでアメリカの 大学入学資格を得るための試験を受けた。その際、関門を突破するために、まずは辞書の持ち込みを試験官に認めさせ、さらには粘りに粘って試験時間を深夜まで延長させたというエピソードは本人がいろいろな場所で語ってきた。そういう《戦術》に人脈づくりという《戦略》をくわえて孫氏は独自の兵法を編み出し、現在のソフトバンク・グループまで成長させてきた。
 ソフトバンクもNTTと同じく持株会社方式でグループ企業の経営を行なっている。
この本体のソフトバンクの社外取締役として、以前、日本マクドナルドの藤田田氏やオリックスの宮内義彦氏、評論家の大前研一氏、光通信の重田康光氏などが名を連ねていた。現在はかなり顔ぶれがかわり、ヤフー・ジャパン社長の井上雅博氏、ユニクロブランドで知られるファースト・リティリングの柳井正氏、ゴールドマン・サックスのシニア.ディレクターのマーク・シュワルツ氏、慶応大学の村井純教授などが取締役メンバーである。
 竹中平蔵氏はソフトバンクの取締役をしていた過去はないが、小泉内閣の経済財政担当大臣になるまえ、元取締役である藤田田社長が設立したフジタ未来経営研究所 の理事長の職にあった。つまり、ソフトバンク人脈に連なる学者の一人である。
 IT戦略本部にもっとも深く関わってきた竹中氏は、一橋大学の教授でありながらソニーの社外取締役に就任して批判された中谷巌氏と共著で 『ITパワー』(PHP)という本を出している。これを読むと、二人の考え方はひじよ-によく似ていることがわかる。大臣になるためにフジタ未来研究所の理事長およびアサヒビールの社外取締役を辞めた竹中氏と、ソニーの社外取締役をつづけるために一橋大学を辞めて多摩大学へ移り、三和総合研究所の理事長に就任した中谷氏は、処世術にも共通点が多そうだが、二人口をそろえて孫正義氏が行なっているビジネスを手放しで褒めちぎる様子は、とても経済学者と思えない。
 竹中氏のスポンサーにあたる日本マクドナルドの藤田田氏は、かつてソフトバンクの株主総会の場における社外取締役退任の挨拶で、(取締役を退任しても、孫さんの友人の一人として、ささやかな株主として、この会社を応援していきたいと思います)と語っている。このようなかたい人間関係は、いまも変わっていない。というのも、ソフトバンク資本のヤフーBBは有線ブロードバンド事業にくわえて、ヤフーBBモバイルという無線LANサービスにも乗り出しているが、マクドナルドのチェーン店がヤフーBBモバイルのホット・スポットとして活用されているという具合に、着実に実を結んでいるからだ。
 竹中平蔵氏がマクドナルドの藤田田氏と昵懇の間柄であることは、日本マクドナルドの株式上場に際して彼が一五〇〇株の未公開株を取得していた事実がマスコミに報じられ、よく知られるようになった。ジャスダックに上場した当初、株価は約四七〇〇円の高値をつけたから約七〇〇万円の価値をもったわけである。このあたりの話をふくめて、作家の高杉良氏は朝日新聞の私の視点というコラム (東京版・二〇〇二年三月一日朝刊) で皮肉を
込めてつぎのように書いている。
(日本の株価が下がり続けるなかで、日本の投資家は死屍累々です。しかし、日本売りを戦略とする米系投資会社や外資系証券はこの間もカラ売りにより巨額の利益を上げている。竹中氏は、雑誌プレジデント に竹中平蔵大臣の『構造改革』日記を連載していますが、最新号にハイリスク・ハイリターンの時代が到来したと書いています。会社なども定年までい続けずに、リスクを冒す勇気を持てというのですが、ブローカーならいざしもず、国民に"カジノ〟を奨励せんばかりの国務大臣など、いたためしがない。竹中氏が日本マクドナルドの未公開株を譲られたり、国会で地方税納税にからんで追及されたりしたのは、リスクだったのかとの半畳の一つも入れたくなります)
 またもう一人の元ソフトバンク取締役で、IT関連規制改革専門調査会座長の宮内義彦氏は、外務省を変える会 で何度もテレビに登場し、いまや日本の規制改革を推進する経営者の代表と目されるようになった。彼も、やはり取締役を退任した際、(商法上の立場は退任させていただくことになりました。私どもはこの二年間あおぞら銀行という一つの連携を確立いたしましたし、今後においても事業の上でできるだけ御一賭したい、良い関係を持って良い成果があがる新しいパートナーシップをつくりあげていきたいと思います)と語っている。
宮内氏はNTT再分割論に代表される強硬な規制改革に熱心であると同時に、早くからオリックスの決算発表に米国式会計基準を導入してきたことでも有名だ。このような思い切ったアメリカ方式の導入は、ソフトバンクと良い関係を取り結ぶ絆の役割を果たしている。閉鎖的で不透明な日本の制度をなんとかアメリカ流に改革したいとの意見の持ち主として行動は一貫していると見る、べきだろうが、そういう人物が料亭政治で権力者を動かしているところに日本の悲劇がある。
 ここまでとりあげてきたメンバーは、経済分野の人間だが、IT戦略本部にくわわっている慶応大学環境情報学部の村井純教授は、日本のインターネット技術の第一人者と自負してきた人物である。第一回のIT戦略会議以来の構成メンバーで、なおかつ技術の専門家だったから、会議の時代の『IT基本戦略』、さらには本部の時代の『eジャパン戦略』と、それを引き継いだ『eジャパン重点計画』まで、村井氏の影響が強い。
 彼は、慶大環境情報学部の公開講義の場で、自分自身の顔写真入りスライドを示しながら『IT基本戦略』から『eジャパン重点計画』までの推移を解説している。これじゃあ、まるでオレが全部つくってきたように世間に誤解されるななどと言い訳めいたことをロにしているが、否定しているわけでもない。いずれにしても、日本を高速・超高速インターネット網で覆う五年計画の提言をまとめるにあたって主導的な役割を演じたのは間違いなく、村井氏はIT戦略本部 のメンバーであると同時に 規制改革専門調査会の委員でもあるから、ここで強く押し出されている通信事業を卸と小売 に構造分離するアンバン
ドリングの提案には彼の考え方が反映されている。そういう人物がソフトバンクの取締役であるという事実を知ったら驚く人が多いのではあるまいか。

   lT戦略本部によるNTT包囲網はだれのためか

 IT戦略会議が『IT基本戦略』をまとめたのは二〇〇〇年十一月である。この内容をかいつまんで紹介しよう。
 まず問題意識として、日本はIT化が遅れているという認識からスタートしている。それをよく示しているのが、『我が国のIT革命への取-組みの遅れ』と題してまとめられたつぎのような文章だ。
(--我が国のIT革命への取り組みは大きな遅れをとっている。インターネットの普及率は、主要国の中で最低レベルにあり、アジア・太平洋地域においても決して先進国であるとはいえない。また、ITがビジネスや行政にどれほど浸透しているかという点から見ても、我が国の取り組みは遅れているといわざるを得ない。変化の速度が極めて速い中で、現在の遅れが将来取り返しのつかない競争力格差を生み出すことにつながることを我々は認識する必要がある)
 これを受けて、なぜ日本のインターネットが世界から遅れたのかとつづけ、その理由をNTTの独占を許してきた制度が足枷になってきたと分析する。
(こうした我が国のインターネット利用の遅れは、地域通信市場における通信事業の事実上の独占による高い通信料金と利用規制によるところが大きいと考えられる。また、インターネット網が低速で非効率な音声電話網の上に作られていること及び通信料金が従量制になっていることが、データ通信料金を高いものとする原因になっていた。一九八五年に通信事業の民営化が行われ、また最近になって外資規制の緩和などが行われたが、未だに数多くの規制や煩雑な手続きを必要とする規則が通信事業者間の公正かつ活発な競争を妨げている。これに加え、書面主義、対面主義による旧来の法律などもインターネット利用の妨げとなってきた。すなわち、インターネット普及の遅れの主要因は、制度的な問題にあったと考えられる)
 そして、(競争及び市場原理の下、五年以内に超高速アクセス(目安として3O~100Mbps)が可能な世界最高水準のインターネット網の整備を促進することにより、必要とするすベての国民がこれを低廉な料金で利用できるようにする)ことを高々と目標に掲げ、そのための方策をつぎのように具体的に提言した。その柱が、ここでは非対称規制という言葉で表現されている、NTTに対するドミナント規制なのだ。

(ア) 電気通信分野における競争を促進するためには、市場支配力に着目した非対称規制を導入する。同時に、通信事業の展開に係る各種の規制を競争を促進する方向で大幅な見直しを進めるとともに、利用者利益の最大化と公正な競争の促進を基本理念とし、事前規制を透明なルールに基づく事後チェック型行政に改める。支配的事業者の反競争的行為に対する監視機能の強化を図るとともに、利用者からの苦情や事業者間紛争、制度.運用上の見直し要求への迅連な対応と裁定スキームの充実を実現するために、早急に専門の機関を設置する必要がある。他方で、競争阻害行為の排除については、独占禁止法の下で公正取引委員会の機能を強化する。
(イ)光ファイバー等及びその敷設のための管路・線路・街路柱等の資源の公正かつ公平な利用を促進するために、民間活力を最大限発揮させる観点から、明確なルール等を設定する。
(ウ) 無線周波数帯の資源については、先端情報ネットワーク環境の発展に資するよう、定期的な割当ての見直しをふくめ、迅速で公平な割当てを可能にする。そのためにオークション方式なども考慮に入れた公正、透明な割当てを検討し、実施する。各項目をじっくり読むと、第2章でとりあげたアンバンドリング政策が、じつに明快に主張されていることに気づく。支配的事業者(ドミナント)はNTTを意味するから、IT基本戦略は、まさしくNTT包囲網以外のなにものでもないことがおわかりだろう。しかも、これらの政策は、KDDIやソフトバンクといったNTTと競争関係にある企業の関係者の手によって決められてきた。これが、日本政府が進めたインターネットやブロードバンドの戦略の際立った特徴である。
 二〇〇二年六月に発表された最新の『eジャパン重点計画』では、インターネット普及率が前年末で四四パーセントになったのはじつに喜ばしいが、よその国も頑張っているため、日本のインターネット人口普及率が世界13位から16位に落っこちてしまったと悔しがっている。順位が下がったことに対して(一瞬たりとも気を緩めることなく取り組まなければならない)とか(これまでの政府の動きを更に一層加速していかなければならない)と声を張りあげている様子はなんとも異様だ。
 今後さらにⅠT戦略本部のテンション》があがっていくのは間違いないだろう。しかし、それはNTTの寿命を縮める方向にしかはたらかないのである。

   外圧を利権拡大に利用してきた人びとがいる

 欧米を見習ってもっと市場開放を進め、もっと大胆な規制改革を行ないなさいという要求は、まさに《黒船襲来》のように何度も外圧として押し寄せてくる。その一方で、国内の (伝道師》たちの口からも熱心に唱えられてきた。
 基本的な構図は、まずアメリカからの要求があり、それは、もっともであると同調する意見が出てくるパターンに見える。しかし、そういう雰囲気づくりが行なわれて、日本政府が具体的な規制緩和策を実施するまでの過程に、IT戦略本部がその役割を演じたような数々の ロビー活動が存在しているのはたしかだ。
 そこには日本国内の規制緩和が自らのビジネスにとって利益になる勢力が、アメリカの要求に 《相乗り》するかたちで緩和を迫っている構造があり、彼らはときにアメリカに外圧をかけてもらう行動に出ることがある。したがて、一般に 日米摩擦と呼ばれている出来事が、ほんとうは国内業者同士の利権争いが背景にあり、それが貿易問題にされていた側面があると見なければならない。とりわけ通信事業の分野にその傾向が強い。
これが日米通信摩擦をわかりにくくしている理由の一つでもある。
大ざっばにいえば、幕末時代、ペリーの黒船がやってくる以前から幕府と朝廷が対立していたような構造が、もっと利益がからんだがたちで横たわっていたということだ。つまり、アメリカの力を借りて日本政府に《ゆさぶりをかけてもらい、そのパワーを利用して、自らの利益に結びつけようとする勢力が存在した。それを確かめるにはロビー活動を行なってきた面々が具体的にどういう発言をしているか点検してみる必要があるだろう。
 これまで、日本にアメリカ型の政策を導入せよと主張してきた《伝道師》たちは、大部分がアメリカの大学院でビジネスを勉強した経歴をほこっている。それで、日本の国内事情などおかまいなしにアメリカで叩き込まれた思想の布教活動をしているように見えなくもない。先ほどとりあげた『ITパワー』の中谷巌・竹中平蔵の両氏も、ハーバード大学での研究経験が自慢だ。この本の中で、竹中氏はつぎのように語っている。
(弱肉強食論というのは、私や中谷さんが話すと必ず反論として出てくるものですが、その議論を突き詰めていくと二つの点に行き着きます。第一のポイントは、そのような主張を唱えている人は、アメリカのことをほとんど知らない。第一のポイントは、日本の歴史をほとんど勉強していない、あるいは上っつらしか学んでいない、ということです)
 この日本の歴史がどういう内容を指しているかがポイントだ。ようするに江戸時代の日本人は自己責任で井戸を掘っていたという話なのである。
(水という生活でもっとも重要なライフラインすら、自己責任において見つけ管理していたということです。もし、自分の庭を掘って井戸が出なければ、隣に交渉して水を分けてもらうとか、共同井戸を利用するとか、自分の生活の基本を自分自身で支えていたのです)
 ここでライフラインという言葉が使われているからには、この話も現代の水道や電話などのインフラ事業を意識した発言にちがいない。
 水の確保はともかくとして、電話の利用まで自己責任で管理させられたらたいへんなことになりそうだが、この話は、竹中氏が日本の通信業界をどういう方向へ誘導しようとしてきたか、じつにアツケラカンと示す告白になっていのである。最近まで竹中氏は経済財政担当とIT担当を兼ねる大臣としてソフトバンクの利益につながるような政策を積極的に推し進めてきた。そして、ソフトバンク資本のBBフォンというIP電話は、まさに自己責任で管理しなければならないライフラインなのだ。
 そんな竹中氏が今度は金融担当大臣を兼任することになった。竹中氏に批判的な論調のマスコミは、外資に有利な政策をとる竹中氏は日本経済を滅ぼしかねないと警告を発しているが、あおぞら銀行の売却問題で柳沢金融担当大臣に抵抗されて困っていたソフトバンクとしては、竹中氏の兼任ほどありがたい人事はなかったにちがいない。

 自己責任の話に戻そう。ヤフーBBのADSLサービスやBBフォンの電話サービスをめぐるトラブルはあまりに多すぎて全部を紹介するのは不可能だが、申し込んで最初の接続に成功したあとから起こるトラブルの代表は、リンクが確立できない こと、つまり接続が切れてしまう障害である。BBフォンは障害が起こったときNTTなどの他社の電話に自動的に切り替わる仕組みになっているが、問題は、完全な障害ではなく《半分程度》の障害が起こった場合だ。その際、相手の声は聞こえるが、こちらの声が相手に伝わらない か、
あるいはその反対のケースが出てくる。このとき、たしかに電話はつながっているが、通話は不能という事態になる。さて、利用者はどうしたらいいか。
 トラブルを体験した人の話によると、携帯電話など別の手段でBBフォンに電話すると、いったんコネクターを外してみてくれ、あるいはモデムの電源を切って再度かけ直してみてくれと指示されるらしい。故障に間違いないと伝えても修理にはなかなか来てくれず、それではと、通じなかった電話の料金は返してくれるのかと訊ねてみると、担当の窓口が別だから電話をかけ直してくれといわれる、さらに詳しい経過をお客様相談室 へメールで送るよう求められる
 じつは、ADSL回線の リンクが切れる事態は、ヤフーBBに限らず、NTTのフレツツ・ADSLでもときどき起こる。電話局との距離が問題になるADSL技術で、従来の固定電話の安定性を求めるのほどだい無理なのだ。
 しかし、そういう技術でも圧倒的な安さがあれば、価格破壊の先導役を演じることが可能で、市場競争力をもつことになる。もっとも、日経BPの調査によれば、ブロードバンド接続サービスの満足度のランキングで、一位のDTI(ドリーム・トレイン。インターネット)が満足度七七パーセントを得たのに対し、ヤフーBBはマイナス六九パーセントという驚くほどの不評ぶりを示した。これは価格破壊でかなりサービスが犠牲にされている実情を物語っているといえそうだ。
IT戦略本部が推進する『eジャパン計画』は、独占事業による安定よりも新規参入事業者にシェアを獲得させることに重点が置かれている。竹中氏は、それを江戸時代の井戸掘りにたとえ、(能力の高い人には頑張ってもらって)と発言している。結果的にソフトバンクの経営者をヨイショ》しているわけだが、ここにも信頼性や安定性を重視せず荒療治としての構造改革を進めようとしている竹中氏の田心想が顔をのぞかせている。

 
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by xsightx | 2006-04-10 06:40

通信崩壊 第3部

通信自由化政策を進めた怪しい人脈

  IT戦略本部]]の人脈を読み解く

日本の通信事業者は電気通信事業法とNTT法の規制を受けている。これらの政策を立案してきたのが旧郵政省(現総務省)で、通信事業の重要政策は旧電気通信審議会が大枠を決めてきた。また、総務省の外局に位置づけもれている公正取引委員会は独占事業者としてのNTTを監視する役目を受け持っている。
 ここに森喜朗内閣時代の二〇〇〇年七月、突如割り込んできたのがⅠT戦略本部(情報通信戦略本部)とそのもとに置かれたⅠT戦略会議だった。ⅠT戦略本部は日本を世界最先端のIT国家にすることを目標につくられた官邸直属の機関である。本
部と会議 はその後、翌年一月の IT基本法 の制定にともなって再編された。IT戦略本部という略称は同じながら、本部 の正式名称は高度情報通信ネットワーク社会推進本部と名を変え、会議 はこの新しいIT戦略本部に一本化された。IT戦略会議 からIT戦略本部 へ引き継がれた組織で、重要な役割を果たしてきたのは、政治家や事務局スタッフではなく、メンバーに選ばれた学識を有する者、いわゆる 有識者 である。会議 から本部 への再編で、有識者の数は半分になり、入れ替わりがかなりあるものの、ここに参加してきたメンバーが日本の通信政策の基本的な方針について情報通信審議会 (旧電気通信審議会) より強い影響を与えてきた。まずはIT戦略会議とIT戦略本部 の参加メンバーを列挙してみよう。

〔IT戦略会議メンバー(事務局スタッフをのぞく)〕
出井伸之 (議長)  ソニー株式会社会長兼CEO
石井威望  東京大学名誉教授
伊藤元重  東京大学教授 (二回目の会議から)
今井賢一 スタンフォード日本センター理事長
氏家齋一郎 日本テレビ放送網株式会社社長
牛尾治朗 ウシオ電機株式会社会長 第二電電株式会社会長
海老沢勝二 日本放送協会会長
大山永昭 東京工業大学教授 
梶原 拓 岐阜県知事
岸  暁 株式会社東京三菱銀行会長
椎名武雄 日本IBM株式会社最高顧問
孫 正義 ソフトバンク株式会社社長
竹中平蔵 慶応義塾大学教授
張富士夫 トヨタ自動車株式会社社長
西垣浩司 日本電気株式会社社長
福井俊彦 株式会社富士通総研理事長
宮内義彦 オリックス株式会社会長兼グループCEO
宮津純一郎 日本電信電話株式会社社長
村井 純 慶応義塾大学教授(二回目の会議から)
室伏 稔 伊藤忠商事株式会社会長

〔IT戦略本部メンバー(内閣と事務局スタッフをのぞく)〕
秋草直之 富士通株式会社社長
出井伸之 ソニー株式会社会長兼cEO
奥山雄材 ケーディーディーアイ株式会社副会長
梶原 柘 岐阜県知事
岸  暁 株式会社東京三菱銀行会長
鈴木幸一 株式会社インターネットイニシアティブ社長
松永真理 エディター
宮津純一郎 日本電信電話株式会社社長
村井 純 慶応義塾大慶学環境情報学部教授

会議の議長をつとめたソニーの出井会長は本部のメンバーとして残ったが、会議と本部 のメンバーを見比べると、人数が半分以下になった以上の大きな変化がある。放送業界の関係者がいなくなり、結果としてインターネット関係者の比率が高くなったことだ。
村井純慶大教授はインターネット技術の専門家であり、松永真理氏はエディターの肩書よりiモード生みの親として知られている。会議 のメンバーだった竹中平蔵慶大教授は本部に経済財政担当大臣として参加し、同時にIT担当大臣をも名乗っていたから、一連のIT政策の実質的なリーダーだったと見なして差し支えない。
 lT戦略本部という大げさな呼び名も何度か使っているうちに慣れてくるが、軍隊式の名称はこの組織が《上意下達》のIT革命の司令部と位置づけもれているからで、組織が官邸直属になっているのは、役所同士のなわばり争いを持ち込まないためだと説明されている。その背景には、通信と放送を管轄してきた旧郵政省(現総務省)とコンピュータ事業を管轄してきた旧通産省(現経済産業省) の対立がある。
 両省は、もともと仲がよくなかった。したがって、官邸直属のIT戦略本部は、各省庁のなわばりという縦割り行政を解体し、政第止案を垂直統合から水平分離 へとアンバンドルする考え方にもとづいているともいえる。しかし、そうだからといって、この組織が公正競争を目指していると思ってはいけない。
 これまでの縦割り行政では、IT分野は通信に分類されていたから旧郵政省の担当だった。ところが通信に占めるインターネットの重みが増してきて、しだいにコンピュータとの垣根がはっきりしなくなった。それで、インターネット政策を郵政省から切-離して独立させようともくろんだわけだが、郵政省からの切り離しは、否応なく通産省の重みを増すことにつながる。会議から放送業界関係者が消えてしまったのは、一つには彼らと旧郵政省が《癒着》ともいえる近しい関係にあったせいだろう。
 そして、IT戦略本部には、付属する審議会の形をとる別働隊がある。IT関連規制改革専門調査会だ。じつは、この別働隊こそ、ⅠT戦略本部の中の参謀本部だといっても過言ではない。なぜなら、ⅠT戦略の要となるのが通信車業の規制改革にはがならないからだ。それでは、通信業界に《アンバンドリング思想》を普及させた総本山ともいえる調査会の参加メンバーを見てみよう。

〔IT戦略本部・IT関連規制改革専門調査会メンバー〕
宮内義彦 (座長) オリックス株式会社会長兼グループCEO
秋草直之
出井伸之
梶原 拓
神田秀樹
岸  暁
鈴木幸ー
鈴木良男
松永真理
村井 純
米澤明憲 東京大学大学院情報学環教授

 座長をつとめるオリックスの宮内義彦会長は、IT戦略会議 のメンバーだった。本部に顔を出していないのは、この調査会の代表として規制改革に努力を集中するためらしい。ただ彼は、小泉内閣発足からIT分野に限定しない 総合規制改革会議の議長にも就任している。そのほかに三名がくわわっているが、注目すべきは二人の本部メンバーが外されていることだ。見比べてすぐわかるよ-に、日本の通信業界を代表するKDDIとNTTの経営者が消えているのである。
 これは何を意味しているだろうか。第2章で紹介したように、このIT関連規制改革専門調査会は 『IT分野の規制改革の方向性』とい-提言のなかで、公正取引委員会の総務省からの切り離しや、NTTなどに対する新たな独立競争監視機関 の設置を迫っている。つまり欧米流に政策と規制を分離することを主張し、そうしたアンバンドリングを早急に導入することによって、規制緩和と自由化を一気に進めようとしてきた。これは、座長をつとめる宮内義彦氏の個人的な主張と同じで、調査会は、そういう規制緩和をもくろむ人間を結集させた機関なのである。この場にNTTの社長を参加させてもアンバンドリングの方向性に反対するに決まっている。そんな人物はいらないという意思がはたらいていると見なければならない。
 では、NTTの独占状態の解消を心待ちにしている競争事業者のKDDIも外されているのはなぜだろう。KDDIの副会長である奥山雄材氏が、郵政省の通信政策局長を経て事務次官を勤めあげた天下り官僚だったからだろうか。そういう遍蓋より、調査会にあまりにも反NTTの色が濃くなりすぎることを恐れたと解釈するほうが妥当であろう。考えてみれば、ⅠT戦略会議メンバーの牛尾治朗氏も旧DDIの会長だったし、同
じく会議メンバーの張富士夫氏が社長の座にあるトヨタ自動車の奥田碩会長は現KDDIの取締役である。NTTの行く末を左右しかねない影響を与える組織に、KDDIの利害関係者がずらりと並んでいたら、だれもが公正ではないと思うだろう。つまり、そういう批判が出てくる事態を回避するねらいが透けて見える。

 森前首相とIT戦略本部メンバーが密会していた

IT戦略会議や本部や調査会のメンバー構成には、このように目的によって事前に放送業界や通信業界の人物を外したり、だれにもすぐわかる利害関係を隠蔽して、この組織が公正であることを装うといった政治性がある。どういう結論になるかがメンバーを選んだ時点で最初から決まってしまうような人選が行なわれる. これは、以前より内外から批判されてきた日本の談合型、システムそのものというほかないだろう。表向き不透明性の排除や公正競争などの《改革》を唱えてきた組織の舞台裏が、実際は公正からほど遠い不透明なものだったのではないがと疑われる。
 そういう密室政治を如実に示している資料がある。ウェブ現代 のホームページに載っていた 『森喜朗首相の料亭ガイド』 という料亭の写真入りの記録だ。
 宴会好きで知られた森前首相が連日のように料亭に通っていたことは、しばしば報じられていたが、それをどこでだれと会ったのかを具体的な実名入りの一覧表にしている。この記録の二〇〇〇年十二月の部分がじつに興味深い。料亭通いは、こんな具合である。
(十二月十七日 (日) 銀座の日本料理店吉兆 牛尾治朗ウシオ電機会長、宮内義彦オリックス会長、竹中平蔵慶大教授らと会食。福田康夫、安倍晋三正副官房長官同席
 十二月二十二日 (金) 赤坂の日本料理店外松 古賀誠幹事長、亀井静香政調会長、平沼迦夫通産相らと会食
 十二月二十六日 (火) 赤坂の日本料理店口悦 牛尾治朗ウシオ電機会長、宮内義彦オリックス会長、竹中平蔵慶大教授らと会食。福田康夫、安倍晋三正副官房長官同席)
 この十二月は、七月に第一回の会合が開かれたIT戦略会議が十一月の第六回で終わりになって、翌年一月からはじまる新しいIT戦略本部の第一回会合までの《谷間》の時期に相当している。ここで、会議から本部に再編されたメンバーの人選などが話し合われた可能性が高い。話し合いというよりは本部長である森首相のお墨付きを得るために《一席もうけた》と推測される。
 むろん、だれとだれが顔を合わせたという話は、一〇〇パーセント信悪性があるかどうかは確かめようがなく、もし正しいとしても所詮は状況証拠にすぎない。しかし、牛尾治朗氏、宮内義彦氏、竹中平蔵氏の三名が森喜朗前首相にIT革命をはたらきかけてきた仕掛け人だったことは間違いない。しかも、牛尾氏はKDDIの会長で、宮内氏はソフトバンクの元取締役である。IT革命の《伝道師》である竹中氏は、とりまとめを行なう《フィクサー》という役まわりだろう。森前首相が、これらの面々と二度も料亭で密会し、しかもその間にのちに(抵抗勢力》と呼ばれるようになる自民党幹部とともに通産大臣と料亭で顔を合わせているのは、いやでも想像をたくましくさせられる。ここに登場する九人が日本のIT政策を決定づける人選に関わったことは疑いあるまい。
 その後、首相が交代して小泉内閣が登場すると、規制改革は構造改革として、さらに《改革》が強調されるようになってきた。しかし、だれが政策を決めてきたのかを追っていけば、日本の IT革命 から構造改革 にいたる通信政策を左右した人脈の流れは何も変わっていないことがわかるだろう。つぎに、その舞台裏がどうなっていたか、もう少し探ってみることにしよう。
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by xsightx | 2006-04-10 06:17

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by xsightx | 2006-04-09 14:03

通信崩壊第2部


  日本はおかしいの一点張りで押すアメリカ

こうして業者同士の談合や系列を重視する商慣習、それらがミックスして日本のビジネスが閉鎖的で不透明なものになっているという意見がしだいに力をもちはじめる。それにともなって、形だけ民営化されたNTTは、構造問題を論ずるにあたって格好の標的にされるようになった。
八五年に、イギリスのサッチャー首相やアメリカのレーガン大統領の規制緩和政策にならって、中曽根内閣時代に民営化されたNTTは、世界一の規模をもつ通信企業だった。
巨大企業だからバッシングしても弱いものイジメにはならない。しかも、日本人は高い電話代に泣かされているという大義名分もある。[[これだ!」とアメリカは手を打ったのではなかろうか。そして、戦争でもビジネスでも、いったん攻撃目標を決定したら、アメリカ人は手を緩めるということをしない。
資材調達問題にかわって、日本の電話料金が高いのはシステムがおかしいからだという電話料金問題が、日米間の大問題してとりあげられるようになり、それが現在に至るまで継続している。構造が異質だから料金が下がらない。それでは日本の消費者がいつまでたっても幸せにならない。人びとを幸せにするためには構造を改める必要があり、その正しいモデルは欧米にしか求められない大筋、このような流れで日本の通信問題と構造問題が結びつけられてきた。
 電電公社時代は電話機から交換機、その他の通信機器まで電電ファミリーと呼ばれた身内グループで仕様や規格が決められていた。完全な日本独自規格だけではなく、IEEE(アメリカ電気電子技術者協会) などの規格で認められたものも多いが、事実上、日本でしか使われていない機器もあり、アメリカ企業が参入するのは困難だった。
 さらには、NTTがISDNの普及を計画しており、さらにその先には、各家庭まで光ファイバーを引くという計画をもっていた。そういうプロジェクトが固まっている場合、機器の規格や仕様は、旧郵政省 (現総務省) とNTTの話し合いで決められていくのは明らかで、アメリカ企業が新規参入する可能性は低くなる。公社が民営化されてNTTになってからも、基本的な構造はあまり変わらなかった。
 日米関係は、八六年の日米外相会談で通信機器問題が話し合われたのを皮切りに、八九年には、アメリカが日本を不公正貿易国と名指しした直後に、宇野・ブッシュ会談で日米構造協議 の開催が決まるなど、アメリカが一方的にぐいぐい押すかたちに変化してきた。ここには思うように進まないNTT問題に対する苛立ちが横たわっている。つまり、アメリカは力ずくでも日本に 構造改革を迫ろうと本気になった。
 よく考えれば、構造が正しくないというのは、社会の根幹が間違っていると断定するにひとしい。したがって改革 の必要性を認めさせることさえできれば、技術的な研究開発にまで口出しすることができる。たとえば、競争政策がきちんと導入されていない通信事業における日本独自の研究は不公正だという理屈になるのである。これは結果的にNTTの研究開発を許さないという理不尽な要求につながる。
 日本で独自に開発され、通信を独占するNTTの保護によって力をつけた新しい通信技術が、アメリカに攻め込んでくるかもしれない ー まだ形の見えていなかった来たるべき情報化社会 の時代に、この分野でもアメリカは日本にしてやられるのではないかと危機感を抱いたのは間違いなさそうである。
 日本独自のOSとして期待されていたトロンや、郵政省主導によってNHKが開発したアナログ式ハイビジョンが、結果的にアメリカによって国際規格への道を閉ざされることになったのも、日本に対する危機感の表れだったにちがいない。その一方で、一九九四年にはゴア副大統領が 情報スーパーハイウェイ構想をぶちあげるなど、アメリカは《国策》としで情報化社会への布石を打ちはじめた。

   アメリカがしかけたトロイの木馬

 では、アメリカはどのよ-にして、NTTが君臨する日本の通信業界にアンバンドリングという切り札を隠した《トロイの木馬》を送り込んだのだろうか。回線の開放を一気に進めさせるテコの役割を演じたのが、NTTの 電話料金問題だったのだ。
 すでに述、べできたように、日本の市内料金が下がったのはマイライン制度を契機に、市内通話に完全な相互接続が導入されたからである。この規制緩和策を政府が実行したのは電話代が高すぎるとアメリカが何度も圧力をかけた効果といえる。外圧をかける手法はコメの自由化の場合とよく似ており、なぜ、日本の食卓においしくて安いカリフォルニア米がのらないのか。それは不透明な流通システム (食管制度) のせいだというパターンに近い。なぜ日本の電話代が安くならないのか。それは、市内通話を独占しているNTTが
競争事業者から高い接続料をとつているからだという論理である。
 じつは、それ以前から、国際電話の 接続料金が貿易不均衡として問題にされてきた。
国際通話は、発信する国の電話会社が着信する国の電話会社に料金を支払う仕組みになっているので、双方の通話量 (時間)が同じでも、日本側の接続料のほうが高いとアメリカの電話会社は接続料を余計に支払うことになる。実際、日米は平等ではなかった。
 そのつぎに登場したのが、NTTの国内の接続料、つまり事業者間接続料金(アクセス・チャージ)だった。事業者間接続料とはNTT以外の電話事業者がNTTの回線を借用する際にNTTへ支払う料金を指している。NTTは米英の事業者よりはるかに取りすぎだから改善すべきだというのである。
 しかし同じ接続料でも国内の接続料を貿易障壁というのはおかしかった。そのため、アメリカが槍玉にあげた接続料問題は、妙な言いがかりという印象を与えたものだ。
当時、日本国内の接続料が高いため不利益を被っていたアメリカの電話会社は存在しない。
それでも、アメリカは執拗に料金値下げを求めた。そして、本来はまったく別の問題である二つの接続料金問題を一連の課題としてとりあげることに成功した。これこそが、日本の通信事業にさらなるアンバンドリングを導入させる鍵になったのだ。
 国内の接続料に対する口出しは、限りなく内政干渉に近い外圧だが、NTTの接続料問題は、それが国内料金の話であるにもかかわらず、貿易問題を話し合う日米交渉のテーマとして存続しつづけた。そうすることによって、アメリカは回線の開放(アンバンドリング)をもはや世界の共通ルールとして当たりまえのことであると日本政府に認めさせる成果をあげたことになる。
            
 日米の電話料金格差はほぼ解消し、成り行きを喜んだ消費者も多い。電話代が安くなって困ることはないから、アメリカからの外圧を感謝すべきだという意見も聞こえる。しかし、料金自体はじつは本質的な問題ではなく、その陰に隠れているアンバンドリングの本格的な導入が今後の日本の通信事業に多大な影響を及ぼす点を見逃してはならない。
 小麦や大豆の関税化・自由化の裏にアメリカの 穀物戦略があったように、日本の通信分野に 規制改革を求めるアメリカの外圧の裏には通信戦略がある。構造を分離するアンバンドリングは、NTTの事業を標的にするドミナント規制と表裏一体のものである。
 日本の穀物価格は、自由化で下がったものの、気がつくと小麦の自給率は九パーセント、大豆に至っては五パーセントという悲惨な状況になっている。しかも、安いと思われていた輸入小麦や大豆が、アメリカの穀物商社の投機行為で、しばしば異常に借上がりする。競争が闘争に発展し、しだいに事業が《バクチ》 の様相を見せはじめているADSL事業と、混乱の種類はちがうものの、本質的に共通しているところがある。つまり安くなるかわりに安定が失われるということだ。
 農産物問題では、アメリカの穀物戦略が、穀物増産を可能にした 遺伝子組み替え技術と見事に連動していた事実も見逃すことはできない。日本の農業には、現在まったくといっていいほど国際競争力はなくなった。
 その一方、通信問題といわれながら実質的に日米間の話はつねにNTT問題だった。この先、NTTに対するドミナント規制が継続すれば、NTTの国際競争力が急激に落ちていくのは疑いないだろう。それを象徴する出来事が、次章でくわしくとりあげるブロードバンド回線を利用したIP電話の登場なのである。不幸なことに、電話とインターネッ-が 共存する技術 でなく、両者がまったくの別物であるという本質に、構造改革をうたいあげる日本の政治家は無知だった。アンバンドリングが加速するほどIP化が進み、IP化が進むほど電話はいらなくなるのだ。
 いま、日本にかぎもず、世界中で通信ネットワークのIP化が進みつつある。同時に、世界的に電話会社の凋落がはじまっているのは、本書の最初で述べたとおりだ。
 全世界が歩調を合わせでいるように見えるため、この流れはとくに不自然には思われないかもしれない。実際、通信事業の世界的な規制緩和・自由化の流れは、もはや止めることは不可能である。その結果、IP化によって通信ネットワークの規格はすべて グローバル・スタンダード製品で覆われることになる。
 通信業界のグローバル・スタンダードが、ほとんどアメリカン・スタンダードと
重なっている現状では、こうした趨勢がアメリカの利益になることはあつても、他国企業の利益にはなりにくい。
 NTTの電話代が東西で別料金になるという話も、NTT東西の両社に対してアメリカが要求している値下げを実行すると、離島を多くかかえたNTT西日本の赤字がふくらんで経営危機に陥ることが確実になるからにほかならない。しかし、昔ながらの電話利用者は、電話料金を公共料金と見なしている。また、大部分はNTT東西が別会社だとわかっていても、料金に差がつけられることには抵抗感をもつにちがいない。しかし、そうした考え方は、(仲間、画一、横並び) の証拠だと批判されかねない。一方、審議会が時流にさからう値上げの答申を出し、総務省がNTT東西の料金を管理することも (お上依存、統制)だと強い批判を浴びることになるだろう。どちらに転んでも(単一価値観の閉鎖的な和や秩序)が問題にされる仕組みである。
 最近、全国の地方自治体に導入されて物議をかもしている住基ネット (住民基本台帳ネットワークシステム)も、総務省の管轄である。総務省は地方自治情報センターという外郭同体を通じて、国民総背番号制の住基ネットの、システムをNTTデータ、NTTコミュニケーションズ、富士通、NECという《旧電電ファミリー》 に委託してきた。これまた、臆面もない (もたれ合い) である。こういうやり方を見ると、(もたれ合い) に弊害が多いのは明らかだ。しかし談合の廃止と、(和) や (秩序) を捨て去ることは同じではない。これらの《精神》を強制的に排除するだけでは無秩序な混乱を招くばかりである。

 このように、通信の構造改革は、日本自身も参加してきた(国際的なルールづくり)の問題と、日米交渉という《二国間協議》の問題が、あたかもタテマエとホンネのように切り離されたり一緒になったりしてきたせいで、事態をわかりにくくさせてきた。アメリカからの外圧にはがならずしも一貰性はなく、世界的な自由化の流れを(アメリカの陰謀》と決めつけるのは無理がある。しかし、《陰謀論》ですベては解き明かせないとしても、《創造的破壊論》に軍配をあげるのは困難だ。目下のところ、通信分野の構造改革は、信頼性や安定性を崩壊させ、それと同時に市場を縮小させる悪い方向にしかはたらいでいないからである。
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by xsightx | 2006-04-09 07:48

通信崩壊

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「通信崩壊」 藤井耕一郎 著より
  WTOを動かしているのはだれか
  
国連と同じくWTOの前身であるガットも第一次大戦の連合国がつくりあげた組織であり、アメリカが主導してきた歴史的な経緯がある。保護貿易反対・自由貿易促進もアメリカが推進してきた政策だ。この考え方がルール・セッティングを行なう前提となる《理念》になったのは間違いなく、またルール・セッティング競争において、発言力の強いアメリカの意向が濃厚に反映したのもたしかだろう。
 しかし、国連の加盟国が増えるにつれて第二世界の国々の発言力が高まり、アメリカが国連を敬遠しはじめたのと同じように、アメリカ政府はがならずしもWTOの取り決めに積極的な姿勢を見せないこともある。とくに共和党の政策は、国内的には小さな政府を指向していて競争原理と矛盾しないが、国外的には強いアメリカを打ち出そうとするため、国際機関による多国間交渉より二国間交渉を重視する傾向がある。たとえていえば、ルールを定めて国際試合が開始されているのに、それとは異なるルールをつくって別の競技をはじ
めるようなものだ。アメリカはときどきこういう提破-を行なうことがある。
 WTOの基本電気通信合意に時間がかかったのは、アメリカの議会が外資規制を撤廃していく ことに反対してきたせいでもある。このような態度は、国連環境開発会議が進めてきた二酸化炭素削減問題が、先進国に対して削減目標を定めた京都議定書 にアメリカが賛成しないため宙に浮いているのと似たところもある。
原理としては総論賛成の立場でも、具体的な各論に関しては、国による姿勢のちがいが出てくる。こういう込み入った事情があるせいで、OECDや、ガットからWTOへ引き継がれた機関は、ほんとうのところ、いったいだれが主導的な役割を演じてきたのかスッキリしない感じが残るのだ。ジュネーブに本部を置くWTOには、現在約五〇〇名の人間が勤めている。国連と同じく身分は国際公務員 で、そうとうな権力をもつ 国際貿易官僚というべき存在だ。
WTOの前身のガットで九三年から責任者をつとめたサザーランド事務局長が、任期を終えたあと、アメリカのゴールドマン・サックス・インターナショナルの会長になったりしているから、一般の国連機関と比較すれば、ある時期までアメリカの金融業界(ウォール街)の影響力が強かったことは疑いないだろう。市場を最優先させる原理は基本的にウォール街の考え方そのものにほかならない。
 しかし、WTOの事務局長は、初代のルジェロ元イタリア(外務次官)貿易相、二代目のムーア元ニュージーランド首相のあとをスパチャイ元タイ副首相が受け継ぎ、いまではアメリカの金融業界の代弁者になっているとはいえない。ただし、うがつた見方をすれば、ルール・セッティング競争がすでに終わって、WTOがニュートラルな審判機関であることを世界に訴えるための人事といえなくもない。さらに疑いぶかく考えれば、ほかならぬコメの大輸出国であるタイの元副首相がWTOの事務局長になったのは、偶然とはいえない可能性も
ある。
 それはともかく、通信分野の国際的な競争ルールの大枠は、すでに決められてしまった。
あとは各国が協調してそれを違守》するしかない。しかも、WTOで決めたルール(協定)に違反した国に罰則を与える方法がじつに巧妙なシステムになっている。
 ガットまでは、すべての加盟国が賛成しないと罰則は行使されないコンセンサス方式がとられていた。これに対し、WTOでは全加盟国が反対しない場合は行使される。つまり協定違反だとたった一国でも声をあげれば罰が与えられる ネガティブ・コンセンサス方式と呼ばれる恐ろしいルールが定められている。こういう規約のもとでは自由化や規制緩和の流れに抗するのはもはや不可能であり、どんな国の人間が事務局長に就任しても大勢が変わることはないだろう。

   アンバンドリングはいつから登場したのか

 WTOで合意された通信自由化の路線は、政府の持株制度と外資規制を撤廃し、支配的・独占的なドミナントを規制することを柱に、強制的な企業間競争を導入するものである。効き目のある競争を行なうには、ネットワークをアンバンドルしてオープンな市場にしていかなければならない。WTOの合意文書によれば差別的でない条件と料金にもとづき、自己の同種のサービスよりも不利でない品質によってサービスが提供されることという具合になる。これがNTTに対して他の事業者に回線網を開放させる根拠になっているわけだがそもそもこういうアイデアは、いつ、どこで生まれたのだろうか。
 ソ連が崩壊して社会主義体制が崩れ、以後、世界中が資本主義の大競争の時代に突入したというなら九〇年代以降の話になるだろう。しかし、話はもっとさかのぼるのだ。独占禁止法の精神を受け継ぎながら公益事業分野のネットワーク事業をアンバンドルして、そこに力づくで競争を導入していく手法は、七〇年代後半のアメリカの航空業界で規制改革運動として提唱されはじめたのが起源のようだ。つまり、きっかけは世界的な原油価格の値上が
り、いわゆるオイルショックなのである。
 原油価格の高騰によって航空会社が苦境に陥り、アメリカの民間航空委員会(CAB)は運賃の値上げを認めたが、それでも経営はさっぱりよくならなかった。これではダメだというので独占事業の制度改革に取り組んだのが、七七年に委員長に就任したアルフレッド・カーンという人物で、彼は航空路線と運賃の大胆な自由化を打ち出した。
 この航空という公益事業のモデルが、その後、他の分野に幅広く適用されるようになり、やがてOECDの規制改革プロジェクトとして競争原理のモデルに体系化されたところからWTOなど他の国際機関に影響を与えるようになった。
 航空事業は運輸業界のなかでも従来もっとも規制の多かった分野である。飛行機を所有している企業が勝手に運航事業をはじめたら危険きわまりないから、これは当然だろう。だが、安全を守るための規制でがんじがらめになっていたせいで、結果的に既存の大手航空会社が新規参入企業を排除することになりやすく、競争原理ははたもきにくい。
 安全を確保しながら運賃を安くするための競争を行なわせる目的で、それまでは特定の企業にだけ認可されてきた路線のアンバンドリングがはじまった。
 ちようど同じ時期の一九七九年、OECDは加盟国に対して規制緩和政策の推進を勧告した。以来二十年以上にわたって、呼び名はさまざまだが、日本政府も行政改革などの規制緩和をテーマに掲げる各種の審議会を設け、数え切れないほどのレポートが提出されてきた。こうした動きは、自民党政権が倒れて細川内閣が登場してから加速され、その後、羽田内閣を経て自民・社会・さきがけの三党連立政権である村山内閣の時代に規制緩和三ヵ年計画として集大成された。
 この当時の行政改革委員会の委員長談話が有名な『光り輝く国をめざして』と題するレポートで、ここにはつぎのように書かれている。
「、、、当委員会としての基本認識は、これまでの日本人、仲間、画一、お上依存、大きな政府、横並び、もたれ合い、統制、単一価値観の閉鎖的な和や秩序を中心とする考え方や仕組みから、国際的に開かれた、世界から魅力あると思われる、小さな政府、個性的、自立、自由、多様な価値観が共存できる方向に転換させるという点にある)
 つまり日本的な価値観から国際的な価値観への転換がうたわれでいるわけだが、具体的な情報・通信に関して、この談話はつぎのようにいう。
(将来のあるべき姿と現状を勘案すると、情報通信分野の活性化のためには、公的規制の緩和と実態として独占体であるNTTにかかわる問題両者の解決が必要である)
 このレポートはあらゆる分野を網羅していて、さっそく翌年からはじまる日本の航空業界への競争政策導入も、この三ヵ年計画 の流れを受けたものだ。
 九六年にスカイマーク・エアラインズやエア・ドゥが誕生して、日本の航空業界にも俄烈な価格競争が持ち込まれた。競争政策のおかげで実際にいくつかの路線の運賃は値下げされたが、早くも最近のエア・ドゥ の経営破たんという事態が起きている。アメリカでは八〇年代から熾烈な生き残り競争がくりひろげもれ、そのあおりで有名な。バンアメリカン航空やトランスワールド航空が倒産した。
 このように、ネツトワーク (路線) の開放という規制緩和は、これまで競争が行なわれなかった分野を小さなパーツ (部分) にアンバンドルすることによって競争状態をつくりだし、激しい生存競争をまねくようになる。既存の事業者や新規参入の事業者が倒産することはあっても、全体として業界が活性化されるから経済の発展に貢献するという、まさに《創造的破壊》の教義にのっとった考え方で、痛みをともなう構造改革のスローガンもこの考え方の延長線上にある。
 WTOは、このアンバンドリングを金融や情報通信などモノ (物品) でないサービスの自由取引にも適用し、あらゆる国で国際的なビジネス競争がはじまるよ-な制度をつくりあげようとしてきたのだ。この方針に即して、長いあいだ政府から手厚い保護をうけ、国内の独占を謳歌してきた日本やヨーロッパの通信事業者は民営化された。民営化のっぎの段階は、国内の情報通信事業の開放を進め、ゆくゆくはWTO加盟国が互いの通信市場を完全に開放し合って、相互乗り入れ で競争をやりましよう、という段取りになる。
 WTOの基本電気通信合意 に《アンバンドリング運動》の発祥の地であるアメリカの意向が反映しているのは間違いないが、EUの統合を進めてきたヨーロッパ諸国も、この競争モデルの導入によって統合後のビジネスの再編を模索してきた。だから、アメリカという覇権国家といえども国際的な競争ルールに否応なく協調させられる立場に置かれる。ただし、その競争ルールの中心になっている市場原理は英米流をモデルにしておりおのずとアングロサクソン国家に有利にはたらくことになる。

  通信開放をめぐるもうーつの舞台、日米交渉の攻防

 世界の通信を自由化させようというアメリカの政策は八〇年代前半から明確に打ち出されている。ちようどイギリスのサッチャー首相の サッチャリズム と、アメリカのレーガン大統領のレーガノミックスの時代に相当する。サッチャー首相は《イギリス病》の克服のために、もっと働けと国民を鼓舞し、公共投資の削減や国営企業の民営化を進めた。
レーガン大統領は、大幅減税と政府による規制緩和を政策の柱に掲げた。そして、小さな政府と呼ばれるこれらの政策をお手本にしたのが日本の中曽根行革だった。
 大まかな流れは、つぎのようなものだ。この時代、まずアメリカの通信会社AT&Tに反トラスト法(独占禁止法)訴訟の判決として分割命令が下されたところから話ははじまる。巨大なAT&Tの全国網から切り離された地域へ]]との電話会社はベビー・ベルズと呼ばれ、AT&Tは長距離電話事業だけに専念することになる。そして、政策的にアメリカと協調路線をとる盟友イギリスも、追随するように国有電話会社を民営化した。
 さらに当時、日本に巨額の貿易黒字の削減を求めていたアメリカは、市場開放と自由化を柱とする対日要求のなかで執拗に電電公社のあり方を批判した。具体的には、電電公社はもっとアメリカのコンピュータなどの機器を買うべきだという資材調達問題からはじまったのだが、やがて中曽根行革の路線に重ね合わせるように、構造改革としての民営化の話が浮上してきた。
 そして、電電公社がNTTに生まれ変わると、通信事業の民営化は国際的な流れを形成するようになり、その後、ガットなどの多国間協議の場に持ち込まれ、最終的にドイツやフランスの国有電話会社が民営化される道筋をつけたことになる。結果から見れば、アメリカが日本に要求した市場開放と自由化が、アンバンドリングやドミナント規制という具体的なかたちで、やがて各国の通信行政に反映されていく流れになるわけだ。
 アメリカは多国間協議を完全に無視するわけではないが、自国の利益がからむ問題にっいては真っ先に単独交渉を試みてきた。そういう背景にくわえて、自由貿易体制を強化する理念は掲げていたものの、八〇年代以降、アメリカは貿易赤字が増大し、失業者も増えていたため、国内からは自国の産業を保護せよという声が高まった。そのため日本とのあいだで、家電製品や自動車の輸入制限 (自主規制) の取り決めを行なったりした。これは本来の無差別な自由貿易の精神とは矛盾する政策になる。
 アメリカは、自由貿易体制の維持・強化という政策の修正を迫られ、OECDなど他の国際機関とも歩調を合わせて、緊急輸入制限 (セーフガード) などを盛り込んだ新しい枠組みをつくろうとしはじめた。この 新しい枠組み のルールづく-の過程で登場してきたのが、従来の物品の自由貿易とは異なる金融や通信事業などのサービスを自由化する仕掛けだったということができる。安い労働力による安い製品からの攻勢をまぬがれるための起死回生のアイデアが、サービス分野の市場開放だったのだ。
 この大ざっばな話では、なぜアメリカは通信会社の民営化をはじめとする競争政策を世界に広めようとしたのかが、まだはっきりしないかもしれない。もっと具体的にいえばなぜ日本政府はアンバンドリングやドミナント規制などの《構造改革》をやらされることになったのかということだ。
 結論からいうと、幅広い分野の相互乗り入れが可能になる制度を相手国につくもせれば、これまで閉ざされていた市場が自動的に開放されるメカニズムがはたらき、それがうまくいくと、アメリカは貿易問題でもっと買えとか売りすぎないでくれといっためんどうな交渉をしなくてもすむようになるからである。この問題をはっきりさせるには、通信分野での日米交渉の歴史をもう少し詳細に見ていく必要があるだろう。

  つまりはアメリカ企業に儲けさせろということ

一九八五年に電電公社を民営化することになる競争原理の導入は、一九八〇年代初めの日米通信協議やアメリカ通商代表部(USTR)による対日要求から開始されている。ご存じのように、具体的なきっかけは日米貿易不均衡問題だった。当時、日本はアメリカから幅広い分野の市場開放を強く求められており、まず牛肉やオレンジなどの農産物が品目としてとりあげられた。そして、つぎの課題としてにわかに登場してきたのが、当時の電電公社の 資材調達問題だった。
資材調達とは、通信設備に使われる機器をアメリカ企業からも買えという要求で、国家が独占している事業だからといって国産品ばかりで固めるな ー つまり、買い手を具体的に名指しして輸入の促進を迫ったわけだ。のちに、アメリカの対日要求は日本の商慣習や系列などの構造を批判するものになっていき、ついには日本政府自身が 構造改革 のかけ声のもとにさまざまな制度改革を断行するに至った。
 構造が問題にされる場合、名目として通信費をはじめとする物価が安くなって消費者は幸せになるとか、構造改革なくして景気回復なし のような国民の利益が前面に押し出されるから話はぼやけてくる。しかし結局、アメリカが 構造を問題にしはじめたのは、現状のままでは外国に対して市場が開放されないという資材調達問題と同じ苛立ちがあったからである。つまるところもっとアメリカ製品を買え! アメリカ企業に門戸を開き、ビジネスをさせろ! そのために構造改革せよ!ということなのだ。
 アメリカが当初試みた アメリカ製品を買えというストレートな要求は、なかなか成功しなかった。どうしたらいいかとあれこれ知恵をしぼったあげく、アメリカ国内で進められてきたアンバンドリングやドミナント規制といった競争政策をふくむ大胆な構造改革 を日本に求めるのがもっとも有効な策である ー ついにこう悟ったのである。
 品質と価格で勝負することこそ、日本人にとってもっともわかりやすい公正競争だった。
それでも、輸出ばっかりするなと脅せば、日本側は業界横並びで自主規制 にも応じるが、しばらく時間が経つと性懲りもなく攻め込んでくる。これは自由貿易体制の観点から見れば問題とは思われず、なかなか輸入を増やさないことも、品質のよくない製品は買わないという理屈になる。日本はアメリカにとってなんともイヤな相手だったわけである。
 アメリカ製のスーパー・コンピュータを例にとると、実際、製品はけっして安くない。それでも、アメリカは日本の公共部門で国産コンピュータのシェアが減らないことを批判しつづけてきた。日本政府はアメリカの要求をのむかたちで、アメリカ製のスーパー・コンピュータを買っているが、当時の日本人は国産のパソコンで満足していたから、外圧だけで一般消費者のレベルにまで輸入促進を拡大することは困難だった。
 というより、日本語の使えないアメリカ製のパソコンを買っても、ゲームをやるぐらいしか使い道がなかつた。品質というより構造問題もふくまれでいたのである。したがってアメリカ製品を買えという直接的な要求に限界があるもう一つの理由は、アメリカ製品が日本のシステムに適合していないからだ、という結論になる。
 日本では自動車は左側通行なのにアメリカの自動車メーカーが右ハンドルの車をつくらないから悪いとか、アメリカ製パソコンを買えといわれでも漢字が使えないのでは仕事にならないという話になる。アメリカで受け入れられる製品を研究してアメリカ進出を果たした日本企業には、そういう努力をしないアメリカ側に対する批判が根強くあった。
 この二つの理由の-ち、最初の品質に関しては、こと工業製品についてはあまり打つ手はなく、ひたすらごり押しするしかなかったが、農産品に関しては日本の言い分にあまり説得力がなかった側面もある。もちろん、農薬をたくさん使用している点や、食糧自給は安全保障上の問題だといった言い分はあったが、牛肉もオレンジ(柑橘類)もアメリカ産のほうが圧倒的に安く、結局、自由化をのまされる結果になった。
 二つ目の日本のシステムに合わないという問題に関しては、アメリカはいかにもアメリカらしい結論を出した。それはおまえが悪い!といいはじめたのだ。世界全体から見れば、日本が特殊なのであり、アメリカの社会や制度は日本よりずっと普遍的なのだという主張である。これが当時のアメリカ側がいいだした、いわゆる 非関税障壁のほんとうの意味なのだ。もっともアメリカとちがうのはケシカラン では説得力がないから、アメリカは日本は国際的に見て異質な国家であると表現してきた。ようするに、国際性がないというわけである。
 このような論調の集大成として、しまいには日本のシステムは人を不幸にするとまでいいはじめた。『日本/権力構造の謎』や『人間を幸福にしない日本という、システム』を書いたカレル・ウォルフレン氏はオランダ人のジャーナリストだが、バブル経済のあとに書かれたこれらの本は、それ以前から登場していたリビジョニス-(見直し論者)と呼ばれる一群の人間が行なってきた日本たたき(ジャパン・バッシング)》を踏襲する日本異質論 である。
 日本人論に目がない日本人は、外からどのように見られているかをひどく気にする。日本の商慣習や、系列取り引き、さらには不透明な密室の談合などを批判され、痛いところを突かれたと感じた。問題は、そこから先である。これでは日本の消費者は不幸になるばかりだし、事業を興そうとしでも、新規参入がむずかしく、頑張った人が報われないおろかなシステムだと指摘されて、そうかもしれないと思いはじめたところに、アメリカから日本の構造を変える、べきだという要求がかぶさってきた。
 先に紹介した『光り輝く国をめざして』の基本認識》の部分をもう一度よく見てみよう。
日本人、仲間、画一、お上依存、大きな政府、横並び、もたれ合い、統制、単一価値観の閉鎖的な和や秩序)が否定されるべきキーワードとして列挙されている。九五年にはこうして競争政策の《邪魔になる》日本の伝統的な悪い国民性-閉鎖的な構造が具体的に定義され
るまでになったわけである。

(続く)
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by xsightx | 2006-04-08 10:18

42円で購入

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by xsightx | 2006-04-06 08:24



下部 健太
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